良くと欲
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良くなりたい!
その向上心の中に潜むのが
欲です。
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欲は、向上心の一環なので
私は否定しません。
だから欲を断ち切れ!と私は言いません。
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ただし、欲には不純物が混じっています。
劣等感、自己顕示欲、自信のなさ等の不純物が。
欲が膨れ上がった人を、欲欲大魔王と私は呼んでいます。
本人が思ってらっしゃる以上に、カッコ悪いです。
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ですから私は、
欲をさらに精妙化していくのを勧めます。
自分の中の欲を素直に認め、
その欲をじ〜っと見つめて、
不要なものを削ぎ落としていき、
自分が真に求めている方角に向かうのです。
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例えば、このシーズンなら受験。
子供さんに「勉強しなさい!」とまくし立てる親御さん。
(良い学校に入るために)勉強しなさい!
と言っていますが、それは欲。
例えば、自分が果たせなかった夢を子供に託す欲。
自分がちゃんと子供と向き合っていないことを
学歴でカバーさせようとする欲、などもあります。
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その欲から逃げずに
その欲を見つめていきましょう。
一体どこに行き着くのでしょうか?
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勉強しなさい!という親の怒号に混じる欲。
その欲を辿っていきますと、そこにはただ、
単純に我が子の笑顔を願う親心がありました。
もっと精妙化してゆくと
ただ、目の前の人間の幸せを願う人間の良心
に辿り着きます。
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ただ、自分の子供に対する拘りや、
自分と子供を同一視する親の勝手な思い込みが
不幸にしたくないという気持ちを生み、
また、将来の不幸という
起きてもいないことへの怖れがこびりついて
欲へと変質してしまっただけです。
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生きるのは、子ども(親)自身です。
親(子)と子ども(親)は、別人です。
子どもを産んだ人であっても、
子どもを所有していることにはなりませんし、
親を介護している人であっても
親を所有していることにはなりません。
また、不幸が幸せを搔き消すこともありません。
全ては幸せに繋がっています。
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このように欲を精妙化すれば、
愛と真実が見えてきます。
その愛に色んな不純物がくっついて
欲となっています。
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だからこそ、自分と対峙し、
自分の中の欲を見極め、
自分の中の真実の愛を再発見する意義があります。
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そのためには
自分を包む「欲の着物」を脱ぎ、
一旦、心を丸裸にするプロセスが必要です。
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そんなことを言っても、
心を丸裸にするのは恥ずかしいことで、
よほど信用できる人の前でないと
丸裸の心になることなど出来ない!
と皆さんお思いかもしれませんが、
私は敢えてこう言いたい。
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丸裸の心は、あなたの最も美しい姿です。
それのどこが恥ずかしいのでしょうか?
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しかし、その丸裸の心を恥ずかしいと思わせる、
それこそが実は、欲の仕業・欲の副作用なのです。
真実と嘘、美と醜を逆転させるのが
欲のしでかす悪さなのです。
(この欲のことを比喩的に描いたのが、
アダムとイブの話に出てくる蛇ではないかと)
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だから欲は放置できないのです。
自分と対峙して、自分の中の欲を見つめて
自分の真実を見つける作業を
長年私がお勧めしている訳が、ここにあります。
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そうすれば、「欲」→『良く』になります。
欲を断ち切った人ではなく、
欲から自分を良くした人、
これは意外とカッコいいです。
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欲。大いに結構。
むしろ、欲の中に活路があるので、
むやみに断ち切ることはありません。
自分の中の欲を知り、見つめ続け、
どんどん自分を良くしましょうよ。
私たちの扱い方次第で
欲は、真実と愛への案内役にもなり得るのです。