自分好き?
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ギターの動画を投稿したり、人前で喋ったりする僕は、
果たしてどれだけ自分が好きなんだろうか?
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例えば、ラーメン屋さんが
自分のラーメンが美味しいと思わずに
ラーメンを出してたらダメよね。
自分で自分の作品が素晴らしいって思うから
シェアする訳だし、それが活動の出発点だよね。
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だから僕を見て欲しい、と言うよりも
納得いく作品を生み出したいという感じ。
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でもあえて突き詰めると、
いわゆる、自分大好き的なナルシズムも、
僕の中にはあると思うよ、うん。
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でも、僕だけを見て〜とか、
僕だけを賞賛して〜とかじゃないんです。
僕はあくまでも、僕の作品の一部に過ぎないから。
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ギターも、講演も、コラムも、ポートレイトも
カウンセリングも、コンサルティングも
みんな僕のアート作品群です、言うなれば。
だから僕だけを見て欲しいのではなくて、
僕を含めた一連の作品群として表現しています。
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僕の中に湧き上がってくる作品群が
今か!今か!と世に出るのを待っているので
この子たちを世に解き放ってあげている感じ。
公開したり、提供したり、形に残すことによって
作品群に命を吹き込んでいる感じなのです。
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そして、ご縁あって僕の作品群に触れた人が
何かを感じることがあったら、それが何であれ、
嬉しいです、という訳です。
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そこでよく聞かれるのは
「見る人、聴く人の為になるのが
やっぱりモチベーションですか?」と。
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人の為になる…人の役に立つ…
それはそれでモチベーションの一部だけど
人の為になるかどうかは、人が決めることであって
僕には決められない。だからそうなれば嬉しい、
ということしか言えないです。
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むしろ、そこに固執し過ぎて
人の為になるのだ〜!人々の助けになるのだ〜!
ってなると、僕の場合は欲が出てきて、
我を見失って、押し付けがましくなってしまい、
作品群の個性が陰ってしまいがちなので、
人の為に、は固執しないことにしてます。
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分かるかな?イメージで言うと
例えば、道端に咲くお花を見るだけで
人間は元気が出ることがあるでしょ?
でも、そのお花は特定の人間を四六時中待って
その人の為だけに咲いている訳じゃないでしょ?
お花は、ただ夢中になって
自分の命を表現しているだけでしょ?
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僕もそんな感じなんです。
僕も自然界に存在しているだけ。
僕の好きなことを夢中に表現しているだけ。
そこに意義とか、意味とかは背負わないです。
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もちろん誰かの為になったら嬉しいけど
それは予期せぬ結果であり、目的じゃない。
僕の目的は自分を活かすこと。自分を表現すること。
それを通して命を謳歌すること。そこが僕の範疇。
だから時には、他人から賛美されないかも知れないが
それは生前のゴッホだって同じこと。それも結果。
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大切なのは自己一致。
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もちろん使命感や責任感もあって良し。
重要なのは、自分の本音と在り方が
『寸分違わず一致しているか』どうか?
そこがズレてたら、小さくても嘘が出てくるし、
結局疲れて、イライラして、不和が生まれるから。
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いや、今日はもうちょっと言うか。
僕だって人の為になりたいし、
人を助けたい気持ちは満載よ。
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だけど、そこだけに拘り、そこだけを見ると
人の為にならないことが非常に多いし、
全然助けられなくなってしまうのよ。
人の為になりたいから、人の為には固執しない。
他人を無視するとか、知らんぷりって事じゃなく、
僕は僕のエリアの中で、僕のトキメキに徹する方が
パフォーマンスが上がって、結果的に人の為になる。
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そして、困ってる人や弱った人がやって来たら
彼らの体験が、彼らの人生を豊かにすることを願い、
彼らが立ち上がることをイメージして
彼らの命と人生を信頼しながら
僕は、自分の作品群を放出してゆく。
立ち上がるのは彼らだから。
感じるのは彼らだから。
主体は彼らだから。
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ということで、話を戻すと
僕の目的は、生の謳歌と賛美であり、
その過程で生まれた僕の作品群のエネルギーが
巡り巡って、ご縁ある誰かに届けば、
たとえそれが一人であっても、僕は嬉しいのです🥹
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結局、僕に限らず、生きとし生けるもの
みんな素敵なアーティストだと思うんです。
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結構大切なことなので、長くなっちゃいましたが
今日もお読み下さった方、ありがとうございます🙋🏻♂️🍀