幸せの足音
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嫌な人に出くわしたとします。
それも貴方の幸せの前兆かも知れません。
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嫌な人は自分と全く関係の無い人で
自分を傷つけるような悪人だと思えば、
嫌な人と遭ったことは完全に不幸です。
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その考えによると、
貴方と、貴方の人生・貴方の存在する世界は
バラバラに分離していることになります。
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おそらく、その考えが
貴方の心の中にネガティヴな
嫌な感情を呼び込んでいます。
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ご存知のようにネガティヴとは
「否定の」という意味で、
私たちの中に嫌な感情が起きる時、
文字通り、私たちは否定しているのです。
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何を否定しているのでしょうか?
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それは、目の前で起きていることが
自分と関係があることを否定しているのです。
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目の前に現れた嫌な人。
この人と私は何の関係も無い!
私と全く繋がってないのに
私の気分を害する人だから嫌い!
という具合です。
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お気持ちは良く分かります。
しかし妙ですよ。
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私たちは時々、
神社・仏閣・教会などに行ったり
新月や満月に向かって
祈ったり願い事をするではありませんか?
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それは貴方が何らかの形で
この世界と繋がっている、
という前提でされていることですね。
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貴方がこの世界と繋がりを持たず
分離していたら、お願いもお祈りも
することはないでしょう。
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それどころか、
私たちと世界が本当に分離していれば
私たちは生きてゆけないはずです。
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つまり、私たちは本当は
自分とこの世界が繋がっている
ということを知っているのです。
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と言うか、それは当たり前です。
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私たちはこの世界で生まれ、
この世界の空気を吸い、
この世界のものを食べて
この世界の中で生きているのですから。
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私たちは、この世界の一部です。
この世界は、私たちの一部です。
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しかし、何かの出来事に対して
人間的感情が反射的に反応してしまい
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目の前に現れた嫌な人を
自分とは無関係として排除したくなって
自分とは繋がりのない人にします。
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しかしその嫌な人も貴方と同じく、
この世界の一部なのです。
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世界と自分の繋がりを否定するから、
文字通りネガティヴな感情が沸き立ち、
私たちは不自然な感情に苦しむ
という訳です。
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貴方の目の前に現れた嫌な人。
お嫌でしょうが、この人も何らかの形で
貴方と関連があります。
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その嫌な人は
貴方の世界を代表して
貴方に何をもたらしているはず。
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細かく言うと、
ネガティヴな感情は、
貴方が抱いたものであって
その人が持ってきたものではありません。
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では嫌な人が持ってきたものは
一体何でしょう?
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貴方が嫌だと感じる人は
貴方にどんな問題提起をしていますか?
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それは決して貴方に
無関係ではありません。
何かがあります。
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貴方の中のネガティヴな思考を
貴方の抱いたネガティヴな感情によって
知らせてくれているはずです。
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嫌な人によって、貴方の中の
ネガティヴな思考や思い込みが
炙り出され、中和されれば
貴方はまた一つポジティブになります。
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あれ?この考え方変だな?
この考え方、かなり無理筋だな?
と気づけば中和です。
ネガティヴな思考は終わりです。
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こうして貴方は、また一つポジティブになり、
貴方の世界と再び調和するので楽になります。
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感情的には嫌な人ですが
それでも貴方に改善を促し、
貴方を楽にする道筋を
示唆してくれる人です。
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貴方の人生に対して
印象的な役目を持った人なのに
すごく嫌われている人。
つまり嫌われ役です。
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嫌いな度合いが強ければ強いほど
貴方の人生にもたらす役目も
大きいのかも知れません。
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悪魔の顔をしたサンタクロースかも知れませんが、
サンタクロースの顔をした悪魔より随分ましですね。
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貴方の世界は貴方を楽にして
幸せに導こうと、画策しています。
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そんな訳で貴方の嫌な人は、
貴方の世界から送り込まれた
貴方の幸せの前兆ですよ。
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でも無理に好きにならなくても良いです。
好きにはなれなくても
ありがとう。と心の中で言えば良いです。
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ありがとう。と言えた時が
貴方が幸せを受け取り始めた時です。
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え?今日も嫌な人に逢ったですって?
おめでとうございます。
幸せが、もうすぐそこまで来ております。