医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月一七日(水)

綴りごと 想いごと

2021暮れ

コロナ・音楽・師走。
2020に続いて2021もコロナ禍と言われた。

大変なことも確かにあった。

個人事業主の僕の仕事にも影響は少なからずあった。


大変と言えば大変だった。
でも嫌なことだけがあった気がしない。


コロナで見直すことが多かった。
むしろコロナ前に見失っていたことを
コロナで見つけ直した気さえする。


つまりコロナ前は僕も含めみんな
群れること、数多くあることを
至上の目的としていたのかな?


今思うと、それはなんか
幻覚剤を飲んでいたような姿だ。


唯一無二の自分を生きるのに
なぜ数多くあることが史上なのか?
群れることは時に必要であっても
決して必須ではなかったはずだ。


当たり前のことを善し悪し別に
中立的に扱うことができた方が
随分と楽である。楽で良いのだ。


苦悩、苦痛、苦難は、
不意に人生に現れるが
それは幸せに必須とは限らない。


楽をしては幸せになれないとか
楽に幸せになってはいけないとか
一体どこで刷り込まれた観念なのだろう?


そんな意味で色んな面で2021も
目を醒ましてくれた年だった。
その年の暮れに僕は何をしているのか?


ふと手元のレザー・クラフトの
美しさに見惚れている。
(は?なにそれ?)


一枚目の写真。これは6、7年前に
通りすがりのお店でいきなり注文した
文庫本サイズの革カバーで
素晴らしい工芸品だと思う。


それにしても飛び込み客の僕の
オーダーをよく聴いて下さったと思う。
その懐の深さにも脱帽する。


そして音楽を聴いている。
この頃よく聴いているのは
フジコ・ヘミングさんと
辻井伸行さんのピアノ。


同じピアノでも全く違って素晴らしい。
人生の味わいと慈しみを感じるには
フジコさんのピアノ。
澄んだ心の美しさを感じるには
辻井さんのピアノ。


それに加えて聴いているのが
Muddy Waters 氏のブルーズ。
もう70年以上前の黒人音楽である。


なぜこんな真逆のような音楽を
僕は聴いているのか?
自分でも不思議だったが
よく考えると不思議ではない。


僕は音を聞いているのではない。
人間から生み出される音楽を
自分の心で聴いているのだ。


だからジャンルとか、分野とか、領域は関係ない。
人間の自己表現のシャワーを浴びているのだ。
その個性が心地よい、個人の癖が美しい、可愛い。


薄曇りの冬。小雨が寒い。
近所の工事の音。
自分の呼吸音。


嗚呼、この瞬間さえも讃美しよう。
良いも悪いもない。
美しいし、可愛いし、素晴らしい。