音・声・愛
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【音・声・愛】
最近、音楽とか声について、よく書いています。
少し前のブログでは「声は肥えだから、栄養になる」
とも書きました。
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声も含めて、音声はやはり、
エネルギーなんでしょうね。
その音声に込められたエネルギーが、
聴く者にフィットする時に、活力となるのでしょうね。
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昨日も書きましたけど、
音楽は薬、
音声は薬なんだと思います。
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それで行くと、
ミュージシャンの方々は
ある意味、お医者さんとか、癒し手ですね。
だから、ライブハウスは静養所、
CDやレコードは処方箋ですね。
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同じ理論でいくと、
落語家さん、講談師さんなど噺家の方々も、
ある意味、お医者さん、癒し手ですね。
寄席が、静養所でしょうか。
こちらの処方箋は『笑い』ですね。
かなり強力です。
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それからラジオの人もそうですね。
たとえば、ブロードキャスターの
ピーター・バラカンさんは、
もう声自体が処方箋のような存在ですね。
(ロック音楽の聖ペテロだと思います)
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つまり、どんな場合でも
人間から発せられる音や声に
それなりのエネルギーが詰まっている
ってことです。
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大切なのは、
音や声を出している本人が
それに気付いているかどうか?
それに責任を持っているかどうか?
ですね。
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テキトーなひと言、ひと声の
テキトーなエネルギーが
聴く者を不快にさせたり
或いは、傷つけたりすることもあります。
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声の発信主は
「傷つけるようなことは言ってない!」
と主張しますが、言葉じゃないのです。
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声なのです。
音なのです。
そこに込められたエネルギーなのです。
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つまりそれは、
愛です。
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テキトーなひと言、ひと声とは
愛の無いエネルギーのことです。
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傷つける気はなくても
愛の無いエネルギーは
相手のエネルギーを吸い上げます。
エネルギーを奪われた相手は
弱り、傷つくということです。
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私一人ひとりが
それを意識しているかどうか?
自分の発する音声というエネルギー
自分の発する愛に対して
責任を持つかどうかです。
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以前ブログで、
「偉い先生の講義が酷く退屈で悲しくなった」
と書きました。
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カチンと来る人が居たら
申し訳ないのですけど
中途半端に偉い先生の声って
どうしてあんなにテキトーなんでしょう?
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愛が無い
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と聞こえるくらい
エネルギーが少なくて
悲しいです。
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よっぽど仕事熱心なのでしょう。
しかし、自分に対する愛が欠乏しているのか?
他人に愛を配る声が出ないのかも知れません。
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寄席の噺家さん、熟練したミュージシャン、
喫茶店のマスター、ラジオのパーソナリティの方が
よっぽど声に愛があります。
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俺は専・門・家だから、
診断だけ上手にすれば良い、
手術が巧ければ良い、
助言が上手ければ良い、
答弁が上手ければ良い、
陪審員を上手く説き伏せれば良い、
ギターさえ上手く弾けば良い、
ちょっと笑わせてやれば良い、
ちょっと沢山物を売れば良い、
あとのことは知らない。
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そんな分業なんて
度が過ぎていやしませんか?
意味ありますか?
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誰であっても
資格や立場にかかわらず
その人が発するエネルギーが
世界に影響しています。
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ひと言、ひと声
一挙手一投足が
愛のストロークなんですよ。
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職場でも
家でも
どこでも。
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私たちは誰でも
愛のかたまりです。
愛なる存在です。
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ただそれを
自覚しているか・いないか?
の違いです。
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この世界では未だに、
愛の奪い合いが続いていますが
それも自分が愛なる存在だと
気づいていないからだと思います。
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過去がどうあれ
あなたは
愛なる存在です。
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生きている間に
気づけるようになりたい
最大のテーマのひとつは
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自分が愛であるということ
ではないかと私は感じます。
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あなたと言う愛。
さぁ、今日はどういう風に
使いますか?