医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二六日(金)

綴りごと 想いごと

不愉快な時
そんな時は忘れ物を取りに行こうか。
どこに忘れちゃったのかな?


不愉快な時。
貴方を不愉快にさせるような
出来事があったのかな?


そこで、思い出してみようか。
出来事には特に意味が無い、
ということを。


出来事には、良いも悪いも
正しいも誤っているも無く
ただ存在し、発生している、ということを。


生まれた瞬間に、悪い命というものが在るかな?
存在そのものが、誤った雲というものが在るかな?
在り方として、正しい三日月というものが在るかな?


その一方で


生まれ育った後に
人間が作ったルールに抵触して
処分を受け人は居るだろう。


良いも悪いも、正しいも誤っているも
素材そのものには無いけど
後付けでラベルを貼られたものだね。


私たちが不愉快になるとしたら
文字通り、その時私たちは心の中で
不快な想いを感じているのだろう。
こんな風に。


嫌な出来事があった!
なんという事だろう!
私は善悪のないものに対して
自分が慣れ親しんだ価値観を刻印し、
裁きを下しているではないか!
何という不自然極まりないことを
私はしているんだ!ああ不愉快だ!


慣れ親しんだとは言え、
不愉快な習慣に付き合い続けると、
貴方は不愉快になる。


そして、不愉快な気分が
自分の中からやって来ていることを忘れ
自分の外から植え付けられたものだと考える。

そうなると、不愉快な気分を
克服することは不可能だと思えてくる。
すると、生きる元気が無くなる。


だから不愉快な気分を感じたら
自分が価値観の牢獄に入っていないか?
何度でも確かめよう。


怒っているのは本当に貴方か?
それとも貴方の慣れ親しんだ価値観か?


そしてさらに思い出そう。


貴方は愛されている存在だと。
貴方が愛されない理由はないことを。
貴方が存在することが愛の証明なんだと。


たとえ不愉快なことが起きても
貴方は愛されているし、
愛が減ってゆく訳ではない。


むしろ一見不愉快に思える出来事の裏に
貴方を愛で導く作用はなかったか?
もう一度探し直してみようよ。


それを思い出すことができたら
あの不愉快な出来事にも
ありがとう、と言って見送ろう。


出来事の善し悪しは無い。
それは空に浮かぶ雲のようだ。


それなら自分の中の歓びに
導いてくれる羅針盤に従って
歩んでゆくことも可能だ。