隠さない美しさ
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10年以上前に読んでいた本。
久しぶりに読んでみたら、
今も昔も僕には非常に心地よい。
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そもそも生きること自体が怖いことで、
生きる不安を持っているのが普通。
なのに「自信なさげに不安ではいけない」と教わる。
競争社会で弱みを見せては駄目だと、教わる。
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生きる不安を隠すために、頑張れと教わる。
不安は敵だ、不安は弱者だ、弱者は駄目だ、
そんな風潮が、どの家庭にも、どの時代にも、
結局残っている気がするのは僕だけか?
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しかし、そんな競争の為の強気な生き方は
不安を外に吐き出させないので、
不安がマグマのように心の中に溜まっていくから、
ある日突然、マグマがドッと出てくることもある。
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自分ではなく周囲の不安を隠すために
学校に行け、勉強をしろ、収入を得ろ、生産しろ、
そんな生き方を小さい頃から強いられて、
蓄積した疲れがある日表に出てきて、動けなくなる、
そんなことがあっても、全くおかしくない。
そんな弱さや不安や怖さを肯定しない社会では
その反動で暴力的な出来事が増える気がする。
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と言うことは、分かります?
今、この瞬間、いや、昨日でも良い、
自分の中の不安や怖さを感じている人は
世界の平和を維持している人でもあるのです。
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逆に自分の中の不安や怖さをねじ伏せていると、
いつかそれが爆発して、何かを壊す羽目になります。
その時、誰かを傷つけることもあり得ます。
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それに対して、自分の不安と怖さに苦しみながら
生きている人は、誰かを傷つけようとはしていない。
自分が苦しい最中なのでそんなことはしない。
勝つ為の競争もしないし、誰もねじ伏せていない。
それは実は、平和への貢献ではないかと思う。
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もちろん、自責や自己否定を推奨してはいないけど
不安で自己否定をする人は、真面目な人たちだと思う。
自分の不安を隠さずに直面している。
なおかつ、平和に貢献している。美しい。
すごい。だけど、疲れ果ててしまうことだろう。
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だから、今少しテキトーになることもすすめたい。
成長しなくても、進歩しなくても、出来なくても、
生きてるんだから、それでも良いやん、って具合に、
ゆっくりテキトーになってみないか?
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そもそも、生きるという不安な作業を
一生やってるのだから、せめて今日くらい
テキトーで良いやん?
テキトーになろうよ、
生きるために。