医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二九日(月)

綴りごと 想いごと

隠さない美しさ

10年以上前に読んでいた本。

久しぶりに読んでみたら、

今も昔も僕には非常に心地よい。

そもそも生きること自体が怖いことで、
生きる不安を持っているのが普通。
なのに「自信なさげに不安ではいけない」と教わる。
競争社会で弱みを見せては駄目だと、教わる。

生きる不安を隠すために、頑張れと教わる。
不安は敵だ、不安は弱者だ、弱者は駄目だ、
そんな風潮が、どの家庭にも、どの時代にも、
結局残っている気がするのは僕だけか?

しかし、そんな競争の為の強気な生き方は
不安を外に吐き出させないので、
不安がマグマのように心の中に溜まっていくから、
ある日突然、マグマがドッと出てくることもある。

自分ではなく周囲の不安を隠すために
学校に行け、勉強をしろ、収入を得ろ、生産しろ、
そんな生き方を小さい頃から強いられて、
蓄積した疲れがある日表に出てきて、動けなくなる、
そんなことがあっても、全くおかしくない。
そんな弱さや不安や怖さを肯定しない社会では
その反動で暴力的な出来事が増える気がする。

と言うことは、分かります?
今、この瞬間、いや、昨日でも良い、
自分の中の不安や怖さを感じている人は
世界の平和を維持している人でもあるのです。

逆に自分の中の不安や怖さをねじ伏せていると、
いつかそれが爆発して、何かを壊す羽目になります。
その時、誰かを傷つけることもあり得ます。

それに対して、自分の不安と怖さに苦しみながら
生きている人は、誰かを傷つけようとはしていない。
自分が苦しい最中なのでそんなことはしない。
勝つ為の競争もしないし、誰もねじ伏せていない。
それは実は、平和への貢献ではないかと思う。

もちろん、自責や自己否定を推奨してはいないけど
不安で自己否定をする人は、真面目な人たちだと思う。
自分の不安を隠さずに直面している。
なおかつ、平和に貢献している。美しい。
すごい。だけど、疲れ果ててしまうことだろう。

だから、今少しテキトーになることもすすめたい。
成長しなくても、進歩しなくても、出来なくても、
生きてるんだから、それでも良いやん、って具合に、
ゆっくりテキトーになってみないか?

そもそも、生きるという不安な作業を
一生やってるのだから、せめて今日くらい
テキトーで良いやん?
テキトーになろうよ、
生きるために。