逢いたい人
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空腹になれば食を求めたり、人と会えば
自分への理解を求めたりと、何かと忙しない。
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頭の中では、自分にとって
嫌なことは少なくなり、できれば無くなり、
さらに良いことが続き、できれば増えていく
そんなことを願ってやまない。
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そんな渇愛をしながら
自分が煩悩に指図されて、
心中が何だかとっても忙しい訳です。
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こんなことを繰り返しているうちに
これは本当の『私』なのだろうか?
という疑問が浮かび上がります。
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これらは生活の中で、記憶の中で
自動生成された感情や意識
ではないのだろうか?
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これは『私』ではなく、
僕の中にある「我」ではないのか?
だとしたら『私』は何処にいるのだろう?
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そんな「我」とばかり会っていて
僕が『私』と逢えていない時は
何かに急かされて、心此処にあらず。
そんな感じがします。
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自分を放置していると
「我」ばかりが目立って
『私』に逢えなくなってしまう。
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心の中が「我」でいっぱいになると
疲れ果ててしまう人と、競争したくて
ドンドン元気になる人が居るけれど
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元気そうな人でも、長い目で見ると、
やっぱり元気は減衰するように
お見受けする。
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『私』の中の一部である「我」が生んだ
感情や意識のムコウに居る
『私その人』と、僕はもっと接したい。
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それは無我なのか、非我なのか
不勉強で分からないけれども
もっと『私』に逢いたいのです。
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自分をお世話して
閑かな『私』に逢いに行こう。
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ムシャクシャやモヤモヤの
手の届かない処に行き、一旦英気を養い
再び毎日の娑婆に戻って生きよう。
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そんな想いに駆られる時は
なんとなく苔を見ています。