超繊細
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僕のことをよくご存知の方と
久しぶりにお話しをしました。
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会話の中で「僕はやっと受容できたのですが
僕は結構、繊細な部分がありまして…」と言ったら
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「うん!結構なんてもんじゃないよ。
超がつくよ、超繊細。super sensitive だから!」
とその方から即返答がございました(笑)
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繊細というと、
何か恥ずかしい感じがしそうですが
繊細と弱いは違うんです。
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これは原産地・生息地・体質みたいなもので
シロクマはサバンナでは生きれない、
ライオンは南極では生きれない、
それと同じことです。
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何のことはない、自分の個性です。
自分を育てる為に自分の特性を
把握しておくことは大切なのです。
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自分を育てるために
自分を研究していった結果として
僕は繊細だった、いや、超繊細だった
というだけのことで、
それを素直に受け容れたこと自体が
自分研究の大きな成果の一つなんです。
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むしろ自分のことに目を向けない、
自分の調和を深めるために
自分という存在から目を背ける方が
弱っている、と僕は定義しています。
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自分を育てることも
認め難い自分の一部分を受容することも
なかなか労力のかかる作業ではあります。
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ましてや日常生活の中でそれをやるとなると、
簡単だよ、とは言い難いのが率直な感想です。
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しかし、ある時私は気づいたのです。
知らないうちに心にガチガチの鎧を
何重にも着こんでいた自分に。
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何でこうなった???
心は窒息寸前…これは自分を助けに行かねば!
でもそれに投入する時間なんてあるのか?
第一、どうすれば良いんだ?分からない…
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別に自分に向き合わなくても、生きてはいけるし…
誰にも怒られないし、大勢に影響はないし…
このまま様子見るか?(逃げの姿勢あるある)
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と思っていたのは、大きな勘違いで
自分と向き合わなければ心が生きないし、
自分自身との信頼関係が崩れるので
人生は次第に混沌とするのです。
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だから、自分と正面きって話し合わないと
僕は本当の僕になれない!
本当の意味で自立するのはここだ!
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やるのであれば今しかない!
何年かかろうとも構わない!
自分とがっぷり四つに組み合って
本気で向き合ってみよう!
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と心の中で思い立ったのを、
まるで昨日のことのように覚えてます。
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もちろん僕も色んな方々に目に見える形や
目に見えない形で助けてもらいましたし、
その有形無形の助けを自分の選択として
受け取りました。
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そう、自分を助けようとする時
人生が貴方を助けようとし始めるのです。
だって自分が人生を司ってるんだもの。
(これは真実だと言えます)
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そんな超繊細の私です。