医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二七日(土)

綴りごと 想いごと

良くと欲

良くなりたい!

その向上心の中に潜むのが

欲です。

欲は、向上心の一環なので

私は否定しません。

だから欲を断ち切れ!と私は言いません。

ただし、欲には不純物が混じっています。

劣等感、自己顕示欲、自信のなさ等の不純物が。

欲が膨れ上がった人を、欲欲大魔王と私は呼んでいます。

本人が思ってらっしゃる以上に、カッコ悪いです。

ですから私は、

欲をさらに精妙化していくのを勧めます。

自分の中の欲を素直に認め、

その欲をじ〜っと見つめて、

不要なものを削ぎ落としていき、

自分が真に求めている方角に向かうのです。

例えば、このシーズンなら受験。

子供さんに「勉強しなさい!」とまくし立てる親御さん。

(良い学校に入るために)勉強しなさい!

と言っていますが、それは欲。

例えば、自分が果たせなかった夢を子供に託す欲。

自分がちゃんと子供と向き合っていないことを

学歴でカバーさせようとする欲、などもあります。

その欲から逃げずに

その欲を見つめていきましょう。

一体どこに行き着くのでしょうか?

勉強しなさい!という親の怒号に混じる欲。

その欲を辿っていきますと、そこにはただ、

単純に我が子の笑顔を願う親心がありました。

もっと精妙化してゆくと

ただ、目の前の人間の幸せを願う人間の良心

に辿り着きます。

ただ、自分の子供に対する拘りや、

自分と子供を同一視する親の勝手な思い込みが

不幸にしたくないという気持ちを生み、

また、将来の不幸という

起きてもいないことへの怖れがこびりついて

欲へと変質してしまっただけです。

生きるのは、子ども(親)自身です。

親(子)と子ども(親)は、別人です。

子どもを産んだ人であっても、

子どもを所有していることにはなりませんし、

親を介護している人であっても

親を所有していることにはなりません。

また、不幸が幸せを搔き消すこともありません。

全ては幸せに繋がっています。

このように欲を精妙化すれば、

愛と真実が見えてきます。

その愛に色んな不純物がくっついて

欲となっています。

だからこそ、自分と対峙し、

自分の中の欲を見極め、

自分の中の真実の愛を再発見する意義があります。

そのためには

自分を包む「欲の着物」を脱ぎ、

一旦、心を丸裸にするプロセスが必要です。

そんなことを言っても、

心を丸裸にするのは恥ずかしいことで、

よほど信用できる人の前でないと

丸裸の心になることなど出来ない!

と皆さんお思いかもしれませんが、

私は敢えてこう言いたい。

丸裸の心は、あなたの最も美しい姿です。

それのどこが恥ずかしいのでしょうか?

しかし、その丸裸の心を恥ずかしいと思わせる、

それこそが実は、欲の仕業・欲の副作用なのです。

真実と嘘、美と醜を逆転させるのが

欲のしでかす悪さなのです。

(この欲のことを比喩的に描いたのが、

アダムとイブの話に出てくる蛇ではないかと)

だから欲は放置できないのです。

自分と対峙して、自分の中の欲を見つめて

自分の真実を見つける作業を

長年私がお勧めしている訳が、ここにあります。

そうすれば、「欲」→『良く』になります。

欲を断ち切った人ではなく、

欲から自分を良くした人、

これは意外とカッコいいです。

欲。大いに結構。

むしろ、欲の中に活路があるので、

むやみに断ち切ることはありません。

自分の中の欲を知り、見つめ続け、

どんどん自分を良くしましょうよ。

私たちの扱い方次第で

欲は、真実と愛への案内役にもなり得るのです。