医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月三〇日(火)

綴りごと 想いごと

自愛の源

 

 

自愛(慈愛)のために、大切なことを

未だお伝えしていなかったかも知れません。

 

 

それは、
いきなり自愛は出来ない
ということです。

 

 

独りよがりでも、寂しさ紛れでもなく、
調和の取れた自愛を実践するには、
ステップがあります。

 

 

育自→自立→自愛

 

 

この段階を経て、自愛に至ります。
最初から自愛を目指しても、
育自と自立が出来ていないと
自愛は確立しません。
以下、解説いたします。

 

 

育自。
自愛の根源は育自です。まず自分を育むのです。特に、同調圧力が強い村社会的なコミュニティの中で暮らした人、強い家父長制の中で暮らした人などは、自分自身の存在感が曖昧になりがちですので、育自を始めることがとても重要です。

 

 

さらに育自は、
自分で「自分のために」意識して始めないと出来ません。学校を卒業したからとか、資格を持っているからとか、30歳を過ぎたからとか、結婚したからとか、子育てをしたからとか、介護をしたからとか、就職しているからとか、経済的に自立したからとか、社会的に功績があるからとか、親孝行をしたからなどは、無関係です。

 

 

つまり育自とは、
文字通り自分で自分を育ててあげること。誰かに育てられるだけでは、人間は育たないのです。もしも心の中に「分かって欲しい」「寄り添って欲しい」「見ていて欲しい」「甘えさせて欲しい」「励まして欲しい」「ねぎらって欲しい」「共感して欲しい」そんな感情があるとしたら、それは育自不足の証拠です。自分の心の中にいる『子どもの自分』を何らかの理由で、長年放置している可能性があります。育自をしていないと、自分の心の中の子どもが苦しくなって、荒れたりしまい、心身が重くなります。

 

 

そして育自とは。
それは自分に目を向けること、自分に着目すること、自分を観察すること、自分を把握すること、自分を洞察すること、それは自分の想いなのか?それとも他から刷り込まれた考え方なのか?自分の自由な発想なのか?それとも自分の思い込みや、偏った認知や先入観なのか?自分の中で、自分と他人の区別をつけることです。自分を精査して、自分で自分をしっかり掴む練習が、育自の目的です。

 

 

育自の手始めは。
まず自分を嫌うこと、自分をさげすむこと、自分を責めること、自分を裁くこと、自分の価値を信用しないこと、自分の未熟さから目を背けることを辞めることから始めます。仮に自分のことが好きになれなくても、行動、言動、思考の中で、自分を嫌うこと、自分から逃げることを、一つずつやめることから始めます。

 

 

自立。
育自が整ってくると、その人は自然と自立し始めます。自分で自分を支え、立たせてあげることができるからです。他人の影響は皆無には出来なくても、他人に自分を奪われること、自己犠牲に陶酔することもありません。他人に求めることも、期待が叶わず幻滅することもありません。育んだ自分が自発的に立ち上がり始める時なので、少しずつ自分が軽やかになり、歩み始めます。

 

 

自愛(慈愛)。
育自を続け、存在としての自立を続けた人は、ふと自分の中に愛が生まれていること、愛が湧き上がっていることに気づくでしょう。自分で育んできた愛、それが自愛です。そしてその愛を独り占めすることなく、世界に循環させてゆこうと、また歩き始めます。もうかつてのように、どこかに誰かに愛を求めてさまようのとは別次元の自分です。自然と愛が循環されるべく、眞実に向かって素直に美しく人生が動き出します。

 

 

育自・自立・自愛(慈愛)。
これらは自分でしか出来ないのです。
他人はお手伝いはできますが、
親しい人でも代行はできないのです。
儀式でも伝統でもありません、実践です。
ですから失敗はありません。
是非やってみて下さい、育自から。