医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月一六日(火)

綴りごと 想いごと

自分好き?

ギターの動画を投稿したり、人前で喋ったりする僕は、
果たしてどれだけ自分が好きなんだろうか?



例えば、ラーメン屋さんが
自分のラーメンが美味しいと思わずに
ラーメンを出してたらダメよね。
自分で自分の作品が素晴らしいって思うから
シェアする訳だし、それが活動の出発点だよね。



だから僕を見て欲しい、と言うよりも
納得いく作品を生み出したいという感じ。



でもあえて突き詰めると、
いわゆる、自分大好き的なナルシズムも、
僕の中にはあると思うよ、うん。



でも、僕だけを見て〜とか、
僕だけを賞賛して〜とかじゃないんです。
僕はあくまでも、僕の作品の一部に過ぎないから。



ギターも、講演も、コラムも、ポートレイトも
カウンセリングも、コンサルティングも
みんな僕のアート作品群です、言うなれば。
だから僕だけを見て欲しいのではなくて、
僕を含めた一連の作品群として表現しています。



僕の中に湧き上がってくる作品群が
今か!今か!と世に出るのを待っているので
この子たちを世に解き放ってあげている感じ。
公開したり、提供したり、形に残すことによって
作品群に命を吹き込んでいる感じなのです。



そして、ご縁あって僕の作品群に触れた人が
何かを感じることがあったら、それが何であれ、
嬉しいです、という訳です。



そこでよく聞かれるのは
「見る人、聴く人の為になるのが
やっぱりモチベーションですか?」と。



人の為になる…人の役に立つ…
それはそれでモチベーションの一部だけど
人の為になるかどうかは、人が決めることであって
僕には決められない。だからそうなれば嬉しい、
ということしか言えないです。



むしろ、そこに固執し過ぎて
人の為になるのだ〜!人々の助けになるのだ〜!
ってなると、僕の場合は欲が出てきて、
我を見失って、押し付けがましくなってしまい、
作品群の個性が陰ってしまいがちなので、
人の為に、は固執しないことにしてます。



分かるかな?イメージで言うと
例えば、道端に咲くお花を見るだけで
人間は元気が出ることがあるでしょ?
でも、そのお花は特定の人間を四六時中待って
その人の為だけに咲いている訳じゃないでしょ?
お花は、ただ夢中になって
自分の命を表現しているだけでしょ?



僕もそんな感じなんです。
僕も自然界に存在しているだけ。
僕の好きなことを夢中に表現しているだけ。
そこに意義とか、意味とかは背負わないです。



もちろん誰かの為になったら嬉しいけど
それは予期せぬ結果であり、目的じゃない。
僕の目的は自分を活かすこと。自分を表現すること。
それを通して命を謳歌すること。そこが僕の範疇。
だから時には、他人から賛美されないかも知れないが
それは生前のゴッホだって同じこと。それも結果。



大切なのは自己一致。



もちろん使命感や責任感もあって良し。
重要なのは、自分の本音と在り方が
『寸分違わず一致しているか』どうか?
そこがズレてたら、小さくても嘘が出てくるし、
結局疲れて、イライラして、不和が生まれるから。



いや、今日はもうちょっと言うか。
僕だって人の為になりたいし、
人を助けたい気持ちは満載よ。



だけど、そこだけに拘り、そこだけを見ると
人の為にならないことが非常に多いし、
全然助けられなくなってしまうのよ。
人の為になりたいから、人の為には固執しない。
他人を無視するとか、知らんぷりって事じゃなく、
僕は僕のエリアの中で、僕のトキメキに徹する方が
パフォーマンスが上がって、結果的に人の為になる。



そして、困ってる人や弱った人がやって来たら
彼らの体験が、彼らの人生を豊かにすることを願い、
彼らが立ち上がることをイメージして
彼らの命と人生を信頼しながら
僕は、自分の作品群を放出してゆく。
立ち上がるのは彼らだから。
感じるのは彼らだから。
主体は彼らだから。



ということで、話を戻すと
僕の目的は、生の謳歌と賛美であり、
その過程で生まれた僕の作品群のエネルギーが
巡り巡って、ご縁ある誰かに届けば、
たとえそれが一人であっても、僕は嬉しいのです🥹



結局、僕に限らず、生きとし生けるもの
みんな素敵なアーティストだと思うんです。



結構大切なことなので、長くなっちゃいましたが
今日もお読み下さった方、ありがとうございます🙋🏻‍♂️🍀