自分を見続ける
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必ずしも全ての人には該当しないまでも、
何かを求める時は
何かに怯えている時
である可能性があります。
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例えば「あの人にもっとこうして欲しい」
と求めている時のあなたは
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あの人は指示に従わない!
あの人は不適切な行動が多い!
あの人は周囲に誤解を与える!
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と、一見ご立腹なさっているようですが
実はあなたの方が傷ついている
ということはないでしょうか?
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と聞くと大半の方が
「そんなことはない!」
とお答えになるのですが
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それは傷ついているご自分を直視せずに
相手に対する怒りや要求を表現することで
自分を強い立場に持ち上げていませんか?
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あなたの怒っている感情を少し
ひっくり返してみると
どうなりますでしょうか?
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あの人は私を不安にさせる…
あの人に私は理解して貰えなかった…
あの人は私を尊重してくれなかった…
あの人は私の気持ちを汲んでくれなかった…
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そんな傷ついた心や怯えた心が感情の裏に
びっしり隠れていることの方が大半です。
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自分を強く見せる必要があるほど
実はご自分が怯え、傷つき、
弱っていたのかも知れません。
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それに怒っても、行き着く先は同じです。
怒ると結局、自分の方が傷つくのです。
二度目は自分で自分を傷つけることになるのです。
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物を求める時も同じではないでしょうか?
何かが欲しい時、何かを物色する時、
あなたは傷ついてはいませんか?
何かに怯えていませんか。
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自覚なく傷ついたあなたは、
失った活力を別の所から補充したくなるので
活力のある物が欲しくなるのでは?
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しかしながら、大半の方は
自分の状態に気付きません。
仕事や生活がお忙しいのでしょう。
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イライラする時、怒る時、心がじっとしない時、
つまり傷ついている時・怯えている時には
その人特有の周期やパターンがあります。
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まずはそのパターンから探してみましょう。
何かと物や人に対してご自分の要求を通す癖を
抑えることから始めるのも、一つです。
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何度も何度も心が不快になりながら
感情の荒波の中を泳ぎながら
何かを渇望する自分の姿を見続けましょう。
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感情に流されることなく踏み止まり
心の片隅で、密かに傷ついている
繊細な自分を探しましょう。
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自分が強いと思っている人
自分は大丈夫だと思っている人
自分が繊細ではないと思っている人
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この人たちほど
脆い人は居ません。
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強いのではなく知らないだけです。
人間の心を甘く見てはいけません。
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心はとても繊細で、手入れをしていないと
荒れてしまい、荒れた心はあなたの心身を
いとも簡単に支配してしまうのです。
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ですから自分を見続けるのです。
大切な仕事や生活があるにせよ、
荒れた心に支配されてしまっては、
元も子もありません。
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せっかくのお給金が治療代になったり
トラブルの賠償金になったりと
別の授業料を払うことになります。
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又、自分を見続けることは楽ではありません。
仕事や生活を理由に逃げたくなるし、
見ていること自体が辛くなります。
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しかしそれこそが
あなたを支配したがる荒れた心の
狡猾な罠であることを知りましょう。
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あなたに見つからないように
心があなたから逃げているのです。
ではなぜ、心があなたから逃げるのか?
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それはあなたが
これまでご自分の心から
逃げてきたからです。
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心があなたを信頼していない時
あなたから逃げ隠れします。
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ですから今度は逃げてはいけない。
どんな罠があろうと立ち向かい、
自分の心から目を逸らさない覚悟で
自分を見続けるのです。
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余りにも難しければ
伴走者や協力者に頼みましょう。
独りでは人間は完結できません。
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このように自分を見続けた末に
自分が傷ついていることを理解した人は
真の問題解決の出口が見えて参ります。
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求めるな、欲を消せ、ヒトモノカネを放棄せよ
などと、現代にそぐわないようなことを
言うつもりは全くありません。
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自分の中に数多ある欲の中から
自分を傷つけている欲を見極めるために
物や人に助けられながら
生きている間にゆっくり練習をして
一歩ずつ賢くなって人生を全うしよう。
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と言っているだけです。
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とにかく自分を見続ける。
たった一人の自分ですから
見続けるしかありません。
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苦難の末に自分を見続けた人に
備わっているのは
慈悲を持つ屈強な心だと思うのです。
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どうかあなたの心を
大切になされますよう。