自信
.
少し変わったことを申し上げますが、
自信があることと、自信がないことは
どっちも同じことのように感じます。
.
.
拙著・生学癒活の中で私は
「自分を知らない状態が自信のない状態」
と述べました。
.
.
まず宇宙のような広大な自分に対して
興味を持ってしっかり見ようとしなくては。
そこから逃げていては、何事も始まらない。
.
.
自分のことだから自分が一番知っている
と言える程、自分は狭くはないのです。
知っているのではなく、決め付けている人が多いです。
.
.
「自分をよく研究する。
そこから自分を信頼する道のりが始まる」
とも書きましたが、今日はもっと深掘りをします。
.
.
自分のことを少しずつ
信頼できるようになったら
その先はどうなるか?
.
.
自信なんか要らないや!ってなります。
自信が欲しくて生きてるんじゃない、
ということに気づくはずです。
.
.
自信が無かったのではなくて、
不安、心配、取り越し苦労に加えて
自分と人生に対する決め付けがあっただけです。
.
.
この大きな世界の中で
小さな自分が生きていくのが
心細かったということでしょう。
.
.
ですが、しっかり自分を見て
自分を研究してゆくと
やがてお分かりになるはずです。
.
.
本当は自分の中に
この世界が在るということが。
.
.
大きな自分の中に
小さな世界を無理に押し込めるから
不調和が起き、その結果自信を失うのです。
.
.
そのことが分かれば
自信なんか要らないのです。
.
.
中には、自分のことを研究もせずに
自信なるものをお持ちの人も少なからず居ますが
それは自信が無いのと同じ状態です。
.
.
自分の中でとめどなく発生する、
不安、心配、取り越し苦労を
視界から見えなくする為の発煙装置として
自信なるものを使っているだけのこと。
.
.
発煙装置を起動させ、作動させ続けるには
それなりのエネルギーが要ります。
自信なるものがあったとしても
徐々にエネルギーが切れてゆくのです。
.
.
そんな訳で、
自信がないのも、自信があるのも、
あまり大差ない感じです。
だって、そもそも
自信なんて要らないんだから。
.
.
不安でも良い。怖くても良い。
楽しくても良い。能天気でも良い。
良いとか悪いとかないから良いんだよ。
.
.
この決め付けない状態、中立的な状態が、
私の言う本来の自信であり、自分軸であり、
愛です。
.
.
身に付けようと躍起に追い求めるものではなく
知らずに湧き上がるものが、愛としての自信です。
自信の有無に固執してると遠ざかってしまうのです。
.
.
だからもしも貴方に自信がなくても、
そこから自分を研究すれば良いのです。
大丈夫。自信がないことは何も悪くない。
.
.
逆に、鎧のような自信なるものがあるならば、
それは自信が無いものと謙虚に解釈し直し、
今一度振り出しに戻って、手間隙をかけて
自分を見つめ直し始めれば良いのです。
.
.
あとは答えをすぐに欲しがらないこと。
.
.
しかし貴方が抱くものが、自信なるものじゃなくて
なぜか楽しくて、何となくの確信めいた感覚ならば
それを無垢に信じて進んで行けば良いのです。
それこそは、貴方の人生の羅針盤です。
.
.
貴方がこの世界に居るのではなく
この世界が貴方の中に収まっているのだから
貴方が進む方角に世界が新しく生まれるのです。