育ての父親
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今日は僕のおじいちゃんの命日だ。
もう15年くらい経つのかな。
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おじいちゃんは僕の育ての父親になろう
という気持ちで、僕を一生懸命に
護ってくれたと振り返っています。
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そんなおじいちゃんの具合が悪くなって
僕以外の人の言うことを聞かなくなって
大変だったけども
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あの大変だった時が
本当のコミュニケーションだったのかもね。
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おじいちゃんとの最期の会話も覚えているし、
おじいちゃんの最後の食事は
大好きな天ぷらだった。
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おじいちゃんが亡くなってしばらくして
おばあちゃんから手渡された形見の時計。
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後で出てきた写真。
僕0歳。おじいちゃん58歳。
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形が亡くなって一層感じるものがある。
欠けているようで満ちているものがある。
失っているようで得ているものがある。
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今一緒に囲碁ができないだけで
おじいちゃんとの会話は
今も続いている。
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おじいちゃん
ありがとう。