医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二四日(水)

綴りごと 想いごと

経験というメガネ②

前の投稿で、

「歳月を重ねて怖がり屋になることは、

ある意味で成熟の証だから、

怖がる自分を否定しないでください」と書きました。

その続きです。


最初はみんな怖れ知らず。
それが経験と共に怖がり屋になる。
これが経験であり成熟。


歳月を重ね怖がり屋となった私たちには
まだまだ選択肢があるのです。


怖がる自分で居るのか?
歓ぶ自分で居るのか?
どっちの自分を選ぶのか?


怖い時は自分で無意識のうちに
怖がる自分を選んでいます。
(それも自分の選択だから否定しない)


でも、自分が無意識とは言え
怖がる自分で居ることを選択していることが
貴方にとって今、100%心地よいと感じない
のであれば、選び直しても良いのです。


ここで注意点があります。


今100%心地良いかどうか?
それが大切な基準だということです。
今100%でなければ、それは安易な妥協です。


例えば、こんな風に自分に
安易な妥協をしていませんか?


●現状は嫌だけど、また波風立てるのも大変だから
●新しい自分になんてなれないし
●100%の納得を求めるなんてワガママ
●多少の妥協もしなきゃいけない
●人生そんな甘くない
●我慢も大人の証だから
●忍耐こそ日本人の良い所


分かりますか?
いつの間にか自分への安易な妥協を
正当化する考え方を
自分で選択していることが。


それも貴方の選択なのですから
私には否定する権利はありません。
ただし、私自身は安易な妥協を
忍耐とは呼びません。


忍耐とは、
納得した自分になるまでの間
自分と自分の人生を信頼する姿のことです。


安易な妥協とは、
自分との対話不足から生まれ
心身の不調和に発展することが多いのです。


逆から申し上げれば、
心身の不調和という表現を使って
自分自身が貴方に訴えかけるのです。


「もっと私の話を聴いてよ!」
「私はまだ納得がいかない!」
「まだ100%じゃない!」
「これじゃ前に進めない!」


という具合に。
貴方の中の違和感、不納得感、不調…
言ってみれば、これらは自分のストライキです。


100%納得いく生き方を求める貴方を
ワガママだと指差すのは誰でしょう?


その人にワガママだと言われたら
貴方の人生はどの程度の影響が出ますか?


仮に、多少の影響が出たとしても
貴方が勇気を出して
この世に生まれてきた価値が
無くなる程のことは有り得ません。


貴方が今日まで懸命に生きてきたことを
全てひっくり返す程のことは有り得ません。
貴方がそれを赦さない限りは。


何%の納得を自分に与えるか?
どれだけ納得した人生を自分に贈ってあげるか?


自分を鞭打つ自分になるか?それとも
自分のサンタクロースになるか?


それも自分の選択です。


貴方を後ろで指差し、
後ろ髪を引こうとする人たちは
貴方の邪魔をしているのではなく
貴方の覚悟を試している人生のエキストラです。


主役は貴方。
彼らはエキストラ。


役割が違うから同期する必要は無いのです。
耳を傾ける云々、リンクする必要も無いのです。
別次元。無理に繋がるのは優しさとは限りません。


脚本も貴方。
貴方は演ずるだけの役者じゃない。
貴方の人生こそがストーリー。
だから貴方はストーリー・テラー。


貴方の物語。
貴方だけが選べる。


怖がる自分か?
歓ぶ自分か?


怖がる自分も成熟。
そこまで来たことが素晴らしい。
でもそれで終わりとは限らない。


そこから
歓ぶ自分を選び直すのは
完熟への道かも知れません。


歓ぶ自分を選び直す
という新しい視点を選ぶ。


怖さ知らずの自分からはじまって
成熟して怖がり屋の自分に寄り道して
歓ぶ自分に還ってゆく。完熟する。


それが貴方の人生
貴方の経験という
新しいメガネです🥸


全ての経験が素晴らしい。
そう思える日まで
選び直すことは可能です。