医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二六日(金)

綴りごと 想いごと

直感の示唆

誰しもが持っている自分ルールの中に、埋もれている直感がありそうです。


自分ルール。「〜しないと○○した気がしない」とか
「〜とは○○だと昔から決まっている」などの
自分の中のしきたり、みたいなものですね。


たとえば
●クリスマスに逢えないと恋人じゃない🤷🏻‍♂️
●お正月に集まらないと家族じゃない🤦🏻‍♂️
●松茸を食べないと秋じゃない🙅🏻‍♂️
●髪型がリーゼントの人は悪い人だ🤷🏻‍♂️
●お酒を飲めない人は信用できない🤦🏻‍♂️
●会話の中で「要するに」って言う人はダメ🙅🏻‍♂️
●仕事ができない人は私生活でもダメ🤦🏻‍♂️
●ブランド好きな人は贅沢な人🙅🏻‍♂️
●親孝行しないと人間じゃない🤷🏻‍♂️
●家族を悲しませるのは最大の罪🤦🏻‍♂️
●沢山働かない人は不幸になる🤷🏻‍♂️
●人助けをしないと生きる価値がない😫
●ものすごい苦労をしないと幸せは来ない🙅🏻‍♂️
●ものすごい努力をしないと成功しない🤷🏻‍♂️
●成功者じゃなければ負け犬だ🤦🏻‍♂️
●有名人は成功者だ🙅🏻‍♂️
などなど


普段から合理的な人であっても、
普段から直感的な人であっても、
みんな自分ルールがあるし、
みんな直感とアクセスできます。


ですが、100%自分の直感を使えている人は
殆ど居ないかなと思います。


それは誰しもが持っている自分ルールの中に
直感が埋もれてしまうから、ではないかな。
自分ルールが直感をコーティングしてしまう、
覆ってしまう、隠してしまうからでしょうね。


特に疲れが蓄積していたり、忙しかったりする時は
自分でも気づかないうちに、直感を遮っています。
自分ルールに偏りがちのようにお見受けします。


どんなに「自分は直感的に生きているぞ!」
と言っている人でも、よく聞くとそれは、
直感という名の自分ルールだったり。


直感と自分ルールの判別が難しい気もするけど
「直感には従わねばならない」「直感は神の声だ」
というのも、実は自分ルールだったりする。


直感は、無理強いはしませんが、
自分ルールは、頑なな傾向にある。
直感は、突然に瞬間的にやって来ますが、
自分ルールは、何故か昔から在る。
直感は、真新しいこともありますが、
自分ルールは、傾向が掴める。
直感には、善悪はありませんが、
自分ルールは、従わないと悪の様な気にさせる。


誤解のないように申し上げますが
何も私は、自分ルールが悪くて直感が善である、
と言うつもりもないのです。


ただ、直感の声はいつも、ゆったりしていて、
余裕があって優しくて、私たちを脅かすことなく、
「もし良かったら、こういう風に捉えてみないかい?
こんな可能性も開いてみないか?」という具合に
示唆を与えてくれるのです。それが直感の声。


その示唆に導かれ、新しい扉を開く時、
確かに直感の言う通りに、人生に新しい世界が
開けてくるのを体験して、驚かされた人も
沢山居られることでしょう。


だから時々、自分ルールを検証したり、
自分ルールにがんじがらめに縛られていないか?
自分で調べてみるのも良さそうですね。
ある意味、それが心の健康診断となります。


どんな些細なことであっても構いません。
意固地な自分ルールを乗り越えて、
直感の助言に耳を傾け、最終的には
自分自身(自分自神)としての責任で
なんらかの選択・判断を生み出した時、
私たちはまた一つ息を吹き返し、
本来の輝きを取り戻し、より一層活き活きとした
日々を創り始めるでしょう。


そんな自分ルールと直感の狭間で、
私を支えてくれる自分に向かって
「今日もお疲れ様です♡」
と感謝したくなる今日この頃です😉