直感の示唆
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誰しもが持っている自分ルールの中に、埋もれている直感がありそうです。
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自分ルール。「〜しないと○○した気がしない」とか
「〜とは○○だと昔から決まっている」などの
自分の中のしきたり、みたいなものですね。
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たとえば
●クリスマスに逢えないと恋人じゃない🤷🏻♂️
●お正月に集まらないと家族じゃない🤦🏻♂️
●松茸を食べないと秋じゃない🙅🏻♂️
●髪型がリーゼントの人は悪い人だ🤷🏻♂️
●お酒を飲めない人は信用できない🤦🏻♂️
●会話の中で「要するに」って言う人はダメ🙅🏻♂️
●仕事ができない人は私生活でもダメ🤦🏻♂️
●ブランド好きな人は贅沢な人🙅🏻♂️
●親孝行しないと人間じゃない🤷🏻♂️
●家族を悲しませるのは最大の罪🤦🏻♂️
●沢山働かない人は不幸になる🤷🏻♂️
●人助けをしないと生きる価値がない😫
●ものすごい苦労をしないと幸せは来ない🙅🏻♂️
●ものすごい努力をしないと成功しない🤷🏻♂️
●成功者じゃなければ負け犬だ🤦🏻♂️
●有名人は成功者だ🙅🏻♂️
などなど
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普段から合理的な人であっても、
普段から直感的な人であっても、
みんな自分ルールがあるし、
みんな直感とアクセスできます。
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ですが、100%自分の直感を使えている人は
殆ど居ないかなと思います。
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それは誰しもが持っている自分ルールの中に
直感が埋もれてしまうから、ではないかな。
自分ルールが直感をコーティングしてしまう、
覆ってしまう、隠してしまうからでしょうね。
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特に疲れが蓄積していたり、忙しかったりする時は
自分でも気づかないうちに、直感を遮っています。
自分ルールに偏りがちのようにお見受けします。
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どんなに「自分は直感的に生きているぞ!」
と言っている人でも、よく聞くとそれは、
直感という名の自分ルールだったり。
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直感と自分ルールの判別が難しい気もするけど
「直感には従わねばならない」「直感は神の声だ」
というのも、実は自分ルールだったりする。
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直感は、無理強いはしませんが、
自分ルールは、頑なな傾向にある。
直感は、突然に瞬間的にやって来ますが、
自分ルールは、何故か昔から在る。
直感は、真新しいこともありますが、
自分ルールは、傾向が掴める。
直感には、善悪はありませんが、
自分ルールは、従わないと悪の様な気にさせる。
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誤解のないように申し上げますが
何も私は、自分ルールが悪くて直感が善である、
と言うつもりもないのです。
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ただ、直感の声はいつも、ゆったりしていて、
余裕があって優しくて、私たちを脅かすことなく、
「もし良かったら、こういう風に捉えてみないかい?
こんな可能性も開いてみないか?」という具合に
示唆を与えてくれるのです。それが直感の声。
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その示唆に導かれ、新しい扉を開く時、
確かに直感の言う通りに、人生に新しい世界が
開けてくるのを体験して、驚かされた人も
沢山居られることでしょう。
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だから時々、自分ルールを検証したり、
自分ルールにがんじがらめに縛られていないか?
自分で調べてみるのも良さそうですね。
ある意味、それが心の健康診断となります。
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どんな些細なことであっても構いません。
意固地な自分ルールを乗り越えて、
直感の助言に耳を傾け、最終的には
自分自身(自分自神)としての責任で
なんらかの選択・判断を生み出した時、
私たちはまた一つ息を吹き返し、
本来の輝きを取り戻し、より一層活き活きとした
日々を創り始めるでしょう。
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そんな自分ルールと直感の狭間で、
私を支えてくれる自分に向かって
「今日もお疲れ様です♡」
と感謝したくなる今日この頃です😉