医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二六日(金)

綴りごと 想いごと

満足と納得

昨今「心のままに生きよう!」的なフレーズが、

流行りのように巷に溢れている気がするのですが、

どことなく「なんでもイイじゃん!」的な、

安易で無責任なニュアンスを感じることがあります。

その時私が「ここは少し区別をつけたいなぁ」

と感じたものがあります。

それは「満足と納得」です。

いつものように私の定義をご紹介します。

満足は、自分を満たすこと。

納得は、自分を受け容れることです。

似ていますが、違います。

満足とは、

他人から与えられることが多いです。

(英語で満足するは、be satisfied と受動態を用います)

しかし、いくら満足を追い求めていても

自分が納得していないと、すぐ新たな不満が生まれるので、

どんどん安易な形で自分を満たさないと

落ち着いた状態を保てなくなることがあります。

どんなに言葉で「満足しています!」と言っていても

納得していなければ、自分の心のジグゾーパズルに

「欠けたピース」が有るので、本当は苦しいのです。

そして誰かに尋ねたくなります、

「ねぇ私、これで良いんだよね?」と。

この苦しさを「別の満足」で覆い隠すことも

人間は可能といえば可能なのですが、

その時の心は自転車操業状態(※)です。

(※)走るのをやめれば倒れる自転車のイメージから、

慢性的な赤字状態でありながら、他人資本を次々に

回転させて操業を続けていく経営状態の例えです。

納得している時は、

反省はあっても後悔はありません。

納得している時は、自分軸で判断ができる時で、

誰かに流されることもありません。

誰に対しても(もちろん自分に対しても)、

堂々と自分でいられる瞬間です。

誰かに賛同されるとか、誰かに拒絶されるとかを

気にしませんので、苦しくありません。

しかし納得は、第3者が与えてくれる満足とは異なり、

自分で自分に与えるものですので、

それなりの自主練習が必要です。

さらに納得は、不満足のままでは見えないこともあります。

どこかで一旦「納得の欠けた満足」を経験しないと、

満足と納得の区別がつかないのも事実です。

とにかく納得への道は容易ではないので、

ふと諦めたくなるような道でもあります。

満足と納得。

それぞれ一長一短あります。

不満だったり、満足したり、納得したり。

やっと納得したと思っていたら、

それは満足だったりして、また不満に逆戻りとか。

そんな人生の光と闇のコントラストに

笑ったり、苦しんだりしながら、

私たちは新しい自分を発見します。

新たに発見した自分の心を拾い集めながら、

人間はゆっくりと、

心のままに生きるようになるのでしょう。

どうぞ、みなさんの『納得する自分の在り方』で

この清濁合わさった人生を謳歌して下さい。