満足と納得
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昨今「心のままに生きよう!」的なフレーズが、
流行りのように巷に溢れている気がするのですが、
どことなく「なんでもイイじゃん!」的な、
安易で無責任なニュアンスを感じることがあります。
その時私が「ここは少し区別をつけたいなぁ」
と感じたものがあります。
それは「満足と納得」です。
いつものように私の定義をご紹介します。
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満足は、自分を満たすこと。
納得は、自分を受け容れることです。
似ていますが、違います。
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満足とは、
他人から与えられることが多いです。
(英語で満足するは、be satisfied と受動態を用います)
しかし、いくら満足を追い求めていても
自分が納得していないと、すぐ新たな不満が生まれるので、
どんどん安易な形で自分を満たさないと
落ち着いた状態を保てなくなることがあります。
どんなに言葉で「満足しています!」と言っていても
納得していなければ、自分の心のジグゾーパズルに
「欠けたピース」が有るので、本当は苦しいのです。
そして誰かに尋ねたくなります、
「ねぇ私、これで良いんだよね?」と。
この苦しさを「別の満足」で覆い隠すことも
人間は可能といえば可能なのですが、
その時の心は自転車操業状態(※)です。
(※)走るのをやめれば倒れる自転車のイメージから、
慢性的な赤字状態でありながら、他人資本を次々に
回転させて操業を続けていく経営状態の例えです。
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納得している時は、
反省はあっても後悔はありません。
納得している時は、自分軸で判断ができる時で、
誰かに流されることもありません。
誰に対しても(もちろん自分に対しても)、
堂々と自分でいられる瞬間です。
誰かに賛同されるとか、誰かに拒絶されるとかを
気にしませんので、苦しくありません。
しかし納得は、第3者が与えてくれる満足とは異なり、
自分で自分に与えるものですので、
それなりの自主練習が必要です。
さらに納得は、不満足のままでは見えないこともあります。
どこかで一旦「納得の欠けた満足」を経験しないと、
満足と納得の区別がつかないのも事実です。
とにかく納得への道は容易ではないので、
ふと諦めたくなるような道でもあります。
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満足と納得。
それぞれ一長一短あります。
不満だったり、満足したり、納得したり。
やっと納得したと思っていたら、
それは満足だったりして、また不満に逆戻りとか。
そんな人生の光と闇のコントラストに
笑ったり、苦しんだりしながら、
私たちは新しい自分を発見します。
新たに発見した自分の心を拾い集めながら、
人間はゆっくりと、
心のままに生きるようになるのでしょう。
どうぞ、みなさんの『納得する自分の在り方』で
この清濁合わさった人生を謳歌して下さい。