求める心
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よく「人間は独りでは生きてゆけない」
と言われます。
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その意味は、
人間どうしの関わり合いの中から
人間が人間たるヒントを得る
ということではないかな?と僕は思います。
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人間が人間と接している限り
どうしても生まれるのが
「求める心」であります。
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ああして欲しい、こうして欲しい
〜しないのはおかしい、
〜して然るべきだ…などなど
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その中でも自分に跳ね返ってきて
自分を妙に疲れさせるのが
「求め(過ぎ)る心」かなと思います。
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例えば、八百屋さんに行って
「大根ください」と言うのは
求め(過ぎ)る心じゃなくて只の要件。
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だけど、八百屋さんに行って
「大根ください」と言って
そこで出された大根を見て
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何だ!世界一の大根が出てこないじゃないか!
もっと素敵な包装紙に大根を包みなさいよ!
とか思うのは「求め(過ぎ)る心」です。
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求め過ぎると、過ぎた分が
疲労とストレスとなって自分に戻ってきます。
帰ってきます(求め過ぎる心の里帰り)。
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(求め過ぎる心)−(求める心)=「過ぎた分」
一体何が?どこが?過ぎていたのでしょう?
胸に手を当てて、以下の六つを探してみて下さい。
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●不明確:
相手に求めるものを
相手が解るように伝えていない、
過度に察してもらおうとしている
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●不適性:
到底相手には応えられない要求をしている、
相手の性質を知らない、知ろうとしていない、
相手の性質を考慮していない要求をしている
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●不寛容:
相手が改善する機会を与えていない、
相手が気づく機会を与えていない、
相手の不出来ばかりを責めている
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●不協力:
自分が関連する問題であっても
相手と一緒に協力・協働して
前に進めようとせず、労力を払わない
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●不見識:
なんでも自分の思い通りになると思っている、
自分で支配し、従わせようとしている、
謙虚さを忘れている、学習の不足
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●不調:
自分のコンディションが悪いために
相手に過度の要求をしている、
相手のコンディションが悪いために
様々な要求に応えられない、
もしくは、そんな自分や相手に気づいていない
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知らなかった、悪気は無かったとしても
求め過ぎてしまった分は、
自分に跳ね返ってきて、自分を弱らせます。
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でも、それが悪いという話ではなくて、
本当の問題、主題はここからです。
(やっとか、前説長いな)
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毎日の生活を生きる我々の中にある
求める心はゼロにはならないのですが
それを放置したまま、自他を責めるのではなく
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「いつの間にか求め過ぎてたんだなぁ〜」
「どの部分が過剰に求めていた所なのかな〜?」
「どこが自分に跳ね返って来たんだろ〜?」
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と自分で自分をよ〜く見てあげること
の方が大切だと私は思うのです。
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自分を見てあげること
それが『自分のお世話』です。
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生まれてから天に還るまでの間
不安と迷いの世の中を自分という孤独と共に
他者と関わりながら生き続けるあなたには
お世話が必要です。
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いついかなる時も
あなたのそばに居る人、
それはあなたです。
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あなたのお世話に
最も適している人、
それはあなたです。
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だからこそ
あなたの、あなたによる、あなたの為の
お世話が必要なのです。
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求め過ぎる心が悪いのではないのです。
求める心を持つ自分が放置されて
寂しくて、悲しくて、膨れ上がった結果、
求め過ぎてしまっただけです。
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自分から目を離さず、慈愛を持って見てあげれば
あなたの求め過ぎていた心は、本来の姿を取り戻し、
あなたも疲弊することは少なくなります。
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余分に過ぎたものが
心の中にあったとしても
無駄ではないのです。
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他人との関わりを通して
自分をお世話することを
学ぶことができます。
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それこそが
人間が人間たるヒントではないかな?
と僕は思う訳であります。
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私たち人間の中から
求める心を消すのは至難です。
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だから求め過ぎて疲弊しないように工夫する、
だからこそ自分をお世話してゆく、
それで良いではないですか😉
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皆さまの『自分のお世話』を
心から応援しております。