医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月一九日(金)

綴りごと 想いごと

条件を増やさない

 

検索条件を増やすほど、

該当数が少なくなるのは、

ネットも幸せも同じ。

 

 

【解説】
現状に不満を抱くことはあるでしょう。その不満が何処から来るのかを紐解く前に、多くの人が「不満以上に自分を満足させてくれるもの」を求めに走ります。それを夢と呼ぶ人も居ます。

 

 

そして、それに向かって努力をするなり、労力を払うなり、何らかの対価・代償を払えば、夢や幸せが近づくと信じ始めます。さらには、それが手に入れば幸せ、手に入らなければ不幸、と定義づけてしまいます。

 

 

あれが有れば幸せ…
幸せにはこれも必要…
あれが無ければ幸せとは言えない…
幸せに最低限要るものはそれ…

 

 

ネット検索と同じで、幸せの条件を設ければ設けるほど、該当する幸せは少なくなります。これらは「不満から生まれた幸せの条件」ですから、必ずしも幸せを導くものとは限りません。

 

 

夢や幸せを追い求める前に、まずその不満は何処から来たのでしょうか?持てる人と持たざる自分を比べて自分は劣っているから、何かを欲しませんでしたか?持たざる自分をダメな存在だと決めつけませんでしたか?ネットやテレビやメディアなどの架空の世界と、現実の自分を比べて、自分の不幸を造り出しませんでしたか?

 

 

それがエゴの働きです。(解釈は様々ですが)太古の昔から永い間、生存競争をしてきた「ヒト(ホモサピエンス)」という生き物としての私たちに組み込まれてしまっている脳の働きの一つだと、私は説明しています。

 

 

生きることは競争である…
誰かより優れていなくてはいけない…
誰かより劣っていてはいけない…
不安要素はあってはいけない…
安全安泰がなくてはいけない…

 

 

これらのアンテナがエゴの働きによって無意識のうちに動き出し、他人よりも自分が劣っている感を強力に探し始めます。さらに、他人より秀でている感に対しては、報酬と解釈され、大きな恍惚感を生み出しますが、それも脳内ドーパミンの作用による、一種の幻想と解釈することもできます。

 

 

このようにエゴと脳内の働きによって、私たちヒトは現状に不満を抱き、それを覆すために「幸せの条件」を造り出し、それが近づけば恍惚を感じ、遠ざかれば絶望感を味わう仕組みになっています。

 

 

かくして、エゴと脳に踊らされ、右往左往するヒトという生き物の物語が人生となってしまいますが、今に至るまでこの仕組みに疑問を持つ人は多少居ても、未だに人間社会がエゴを中心に回っているのは、それだけエゴと脳の作用が強いからでしょう。

 

 

しかし、このようにエゴと脳の働きに振り回されて、自分の幸せの条件を増やしてばかりいては、いつまで経っても幸せになりません。エゴと脳に操られている限りは、幸せには辿り着かない仕組みになっています。(私はこれを「エゴが仕組んだ出来レース」と呼んだり、「本来の幸せと出逢うための助走期間」と呼んだりしています)

 

 

勿論、夢に向かって努力して、それが叶って幸せを感じる、それも幸せの一つです。ですが、それが叶わなかったら不幸という理屈が頭の中にある限り、幸せが遠のきます。「自分は不幸だから幸せを求めるのだ」という理屈が既に幸せを否定しています。

 

 

幸せの反対が不幸と思う限り、
幸せの条件を設けることは、同時に
不幸の条件を造ることになります。

 

 

それならば
『幸せの反対は幸せ。基本幸せ。全て幸せの中の出来事』
『不幸を感じることはあっても、不幸になることはない』
『幸せと不幸は別物。足し引き出来ない別次元のもの』
と考え直すのはどうですか?

 

 

願いが叶おうと叶うまいと、幸せはあります。
人と比べて劣っていても、幸せはあります。
不足しているものがあっても幸せはあります。
本来の幸せには、条件は限りなく少ないはずです。

 

 

幸せの条件を毎日検索するのではなくて、
幸せを発見する毎日にしてはどうですか?
最初から幸せだという発想はどうですか?
嫌なことがあるから不幸だとは限りませんよ。

 

 

貴方の人生が大きな幸せの中の一部だと捉え、
日々のエゴに振り回されないようにしつつ、
尚且つ、自分のエゴや脳やトラウマを憎まない。
そんな処からゆっくり始めてみませんか?
新しい、ホントの幸せの練習です。