本当に大切な人
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『大切な人だからこそ』
なんか昔はこう思ってた気がするな。
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自分にとって大事な人なんだから
その人との関係を維持しなくてはいけない…
その人に不快な想いをさせてはいけない…
そのために自分が我慢することが必要だ…
それくらいしないとワガママな人になってしまう…
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大事な人…と言うものの
それは実は「自分にとって」ではなく、
自分が「相手にとって」大事な人で居続ける為に
あれこれ最もらしい理屈を付けて
自分を抑圧していた…ような気がした。
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つまり優等生的な態度を示すことで
相手に守って欲しい、相手に分かって欲しい、
という気持ちが露わになっている気がした。
なんだ?相手に服従しているじゃないか⁈
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おっと!これは『本当に大切な人』
に対する姿勢ではないかも⁈
とある時、不意に感じ始めた。
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大切な人であれば
関係を維持しなければならない、
なんてことはないはず。
崩れるのも続くのも自然。
お互いの自然な様子を許せるよね?
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本当に大切な人の前であれば、
苦痛と我慢の無い自分で居られるし、
そう居たいと願って何も悪くないよね?
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本当に大切な人と居るのに
なぜ代償を払う必要があるのかな?🤔
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生きるのに、誰かの許可が要るのかな?
自分の存在に、理由や根拠が要るのかな?
幸せのためには、対価を払う必要があるのかな?🤔
何でも前払いなのかな?
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望むものを手に入れる為に代償や対価を払う…
そんな発想を続けていると、
人の心のやりとりさえも、一つの取引として
捉えてしまう癖がついてしまう気がした。
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それは、現代社会の合理性…なのではなくて
人の心が少しずつ無くなってゆく寂しい風景…
のような気がした。
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そんな風に人知れず、自分でも気づかずに
我慢と取引をしている人は、
実は、見ていてすぐ分かるかも。
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相手にも我慢を強いるから、すごく見つけやすい。
「私も我慢してるんだから貴方も我慢しなさい」
「私は我慢しているから正しいのです」
という論調が、隠しきれないサインになってる。
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伝統や文化、社会倫理や道徳観が
人間に我慢と抑圧を強いる理由に
なってはいけない気がした。
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よく考えたら、我慢の安売りキャンペーンは
本当に自分の大切な人にすることとしては
あまりにも安過ぎる気がする。
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大切な人、その中にまず
自分が含まれていなければ。
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自分に向かって
望んでもいない我慢を強いる人を
なぜ大切にするのか?🤔
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本当に大切な人だからこそ
その人の前で自分を抑圧しない。
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本当に大切な人だからこそ
取引、駆け引きはしない。
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本当に大切な自分を
自分の大切な人にするために
私たちは時間をかけて
大切ではないものを学びました。
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本当に大切な人と一緒に過ごす時
本当の私は本当に自由になる。
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まずは自分が自遊になるために
呪縛のような我慢と抑圧の渦の中から飛び出して、
本当に大切な自分に逢いに行く。
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長らく使い古してボロボロになった社会のルールと
赤ちゃんのお肌のように再生する自分のルールを
あえて❗️もはや❗️別箇にする❗️
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そんなのはどうでしょうか?
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大丈夫。
あなたはもともと自由でした。
ゆっくり思い出してみて下さい💚🤗