医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二五日(木)

綴りごと 想いごと

本当に大切な人

『大切な人だからこそ』
なんか昔はこう思ってた気がするな。


自分にとって大事な人なんだから
その人との関係を維持しなくてはいけない…
その人に不快な想いをさせてはいけない…
そのために自分が我慢することが必要だ…
それくらいしないとワガママな人になってしまう…


大事な人…と言うものの
それは実は「自分にとって」ではなく、
自分が「相手にとって」大事な人で居続ける為に
あれこれ最もらしい理屈を付けて
自分を抑圧していた…ような気がした。


つまり優等生的な態度を示すことで
相手に守って欲しい、相手に分かって欲しい、
という気持ちが露わになっている気がした。
なんだ?相手に服従しているじゃないか⁈


おっと!これは『本当に大切な人』
に対する姿勢ではないかも⁈
とある時、不意に感じ始めた。


大切な人であれば
関係を維持しなければならない、
なんてことはないはず。
崩れるのも続くのも自然。
お互いの自然な様子を許せるよね?


本当に大切な人の前であれば、
苦痛と我慢の無い自分で居られるし、
そう居たいと願って何も悪くないよね?


本当に大切な人と居るのに
なぜ代償を払う必要があるのかな?🤔


生きるのに、誰かの許可が要るのかな?
自分の存在に、理由や根拠が要るのかな?
幸せのためには、対価を払う必要があるのかな?🤔
何でも前払いなのかな?


望むものを手に入れる為に代償や対価を払う…
そんな発想を続けていると、
人の心のやりとりさえも、一つの取引として
捉えてしまう癖がついてしまう気がした。


それは、現代社会の合理性…なのではなくて
人の心が少しずつ無くなってゆく寂しい風景…
のような気がした。


そんな風に人知れず、自分でも気づかずに
我慢と取引をしている人は、
実は、見ていてすぐ分かるかも。


相手にも我慢を強いるから、すごく見つけやすい。
「私も我慢してるんだから貴方も我慢しなさい」
「私は我慢しているから正しいのです」
という論調が、隠しきれないサインになってる。


伝統や文化、社会倫理や道徳観が
人間に我慢と抑圧を強いる理由に
なってはいけない気がした。


よく考えたら、我慢の安売りキャンペーンは
本当に自分の大切な人にすることとしては
あまりにも安過ぎる気がする。


大切な人、その中にまず
自分が含まれていなければ。


自分に向かって
望んでもいない我慢を強いる人を
なぜ大切にするのか?🤔


本当に大切な人だからこそ
その人の前で自分を抑圧しない。


本当に大切な人だからこそ
取引、駆け引きはしない。


本当に大切な自分を
自分の大切な人にするために
私たちは時間をかけて
大切ではないものを学びました。


本当に大切な人と一緒に過ごす時
本当の私は本当に自由になる。


まずは自分が自遊になるために
呪縛のような我慢と抑圧の渦の中から飛び出して、
本当に大切な自分に逢いに行く。


長らく使い古してボロボロになった社会のルールと
赤ちゃんのお肌のように再生する自分のルールを
あえて❗️もはや❗️別箇にする❗️


そんなのはどうでしょうか?


大丈夫。
あなたはもともと自由でした。
ゆっくり思い出してみて下さい💚🤗