医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二九日(月)

綴りごと 想いごと

愛に還る時

 

 

子どもにしてみれば、この地球生活は

驚愕の連続で、怖くて仕方がない。

 

 

しかし親に心配かけまいと、しばらくの間は

元気な子どもを装うが、それもやがて限界が来る。

 

 

あらゆる記憶が限界を突破し、
あらゆる感情が噴出してくる時がある。
あって良い。あった方が良い。

 

 

その際、多くの地球の人間を憎みたくなる感情が
どうしても子どもの中に残ってしまう場合がある。
子どもは、憎むような真似はしたくないのだが、
整理のつかない感情だけが残ってしまう。

 

 

その時、自分が生きるために
その感情をぶつける場所が
どうしても必要となる。

 

 

それが親となることが多い。

 

 

別に親が何をした訳でもなくても、
他人より親の方が遥かに優しく
自分に接してしてくれたとしても、
あらゆる地球の人間から受けた、
悔しさと哀しみが行き場を失ったので、
やむを得ず、目の前の親という人間を
地球の人間の代表者としてみなしてしまう。

 

 

地球の人間に対する恐怖の象徴を
親にせざるを得ない場合がある。

 

 

だから他人に殴られるよりも
親の言葉の方が大きく傷つく、
という現象がどうしても起きてしまう。

 

 

そして子どもは自分を守る為に
親に噛み付くしか術が分からないし、
そうやってこの地球生活で人間との
最適な距離感を探っていくしかないのだ。

 

 

そんな関係だから
子どもは子どもで理不尽さを感じ、
親は親で不合理さを感じるだろう。

 

 

少なくても
僕の経験の上ではそうだった。

 

 

そして幾つになっても、誰もが子どもである。
親も子どもだし、子どもも子ども。
時には、子どもが親になることさえある。
親も子どもも相手に何かを投影し、ぶつけ合ってる。

 

 

でもそれもいつか終わる。
いつか子どもも親も愛に還る時が来る。
貴方がそれを信じている限り、
その日は刻一刻と貴方に近づいて来る。