医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二四日(水)

綴りごと 想いごと

メンタルヘルスの大切さ(その2)

 

精神科医・心療内科医・臨床心理士でもなく、
働く人を見守る産業医の僕が、
心の健康・メンタルヘルスのテーマを、
大切にしているには、僕なりの訳があります。
今日は、その第2弾です。

 


前回の第1弾では、こう申し上げました。
「全ての人に、生きている間に一度以上、
必ず、自分の心と向き合わねばならない時が
前触れもなく、ある日突然に、訪れるから」

 


今回の第2弾では、さらに、これを加えます。
「学校でも、会社でも(家庭でも?)
教わらないけれど、
ストレスを適切に処理することは、
全ての人にとって、大切な基本動作だから」

 


例えば今日、
Aさんが、あなたに放った言葉や態度、表情に
あなたは深く傷ついた、あるいは、苛立ったとします。
翌日になっても、翌週になっても、
あなたの不快感は完全には消えないとします。

 


この場合、あなたのストレスの元(ストレス源)は
どこにあるのでしょうか?誰でしょうか?

 


いやぁ、間違いなくAさんでしょ!?
私もそう思いますし、
ご相談に来られる方の9割以上が
ストレスをふっかけてきた他人の話から始まります。

 


で、そのAさんが嫌になったあなたが、
次に取る行動は、どうしましょう?
会社だったら、Aさんと別部署に配置換え、
家庭だったら、Aさん別居か離婚、
地域だったら、Aさんの居ない所に引っ越し、

 


それが出来れば一番手っ取り早いのですが、
そうしたい所だけど、そうはいかないんですよね。
あたり前ですが、家でも、仕事でも、
それが出来る人と出来ない人が居ます。

 


自分と一緒に仕事をする人を
あなたが選べるような仕事をしているのなら、
仕事のストレスも軽減されるかもしれません。
しかし、会社・組織・集団職場で働く
殆どの人は、それが出来ません。

 


集団では、ルールや規律・秩序を保つことが
個別の事情よりも優先されるからです。
よほどの事情がないと、個別の事情は考慮されません。
集団とは、そもそも、そういう所なのです。

 


では、そういう集団の中で働いている人は、
どうするのでしょうか?

 


ストレスをそのまま放置しておけば、
良いというものではありません。
時間が経って、ストレスがなくなった!
すなわち、忘却したので、ストレスが無くなった!
と思っているのは、自分だけで、
自分の心が、ストレスを忘れていません。

 


ストレスを心の中で放置していると、
それは、次第に心の中で「腐敗」します。

 


ちょうどそれは、消化できていない食物が
時間をかけて、腸の中で腐敗してしまう、
腸内腐敗の様子とよく似てます。

 


例えば、今あなたが、
「申し訳ない気持ち」になったとします。
(これも、立派なストレスです)
ですが、大したストレスじゃない、と思い、
それを、しばらく放置していたとします。

 


そのストレスは、その後どうなるかと言うと、
申し訳なさが、心の中で次第に腐敗(変化)し、
いつしか、「罪悪感」や「自己嫌悪」となり、
果てには、「怒り」や「悲しみ」までになります。

 


これらの感情は、間違いなく、
自分(の心と体)と、周囲の人を傷つけます。
些細なストレスでも、放置していると、
いつかご自分が病気に倒れたり、トラブルに遭ったり、
心や脳が誤作動を起こし、判断や行動を誤ったり、
人生の何かが良くない方角に進展したり、
あるいは、周りの人が、同様の目に遭ったりします。
それはまるで、何かの法則に従っているかのように、
ほぼ必ず、と言って良いほど、起きます。

 


ですから、ストレスは放置できないのです。
あなたが望むならば、放置しても良いですが、
結局、後で利息をつけて払うことになります。

 


ではどうするのか?
発想と行動を変えねばなりません。
(知識だけではダメです)

 


集団職場で働いていて、
ストレスが無い人など、殆ど居ません。
「あの人が微妙に苦手」「この仕事が不得意」
と言う簡易な理由で、自分に合った仕事を
会社が見繕ってくれる職場など、殆ど有りません。
会社とは、そもそも、そう言う所です。

 


自営業の人もそうです。
「あんた、うちの店に来ないでくれ!」
と最初っから、お客さんを選べる人は少ないです。
嫌なお客さんとも接するでしょう。
まさに、感情労働です。

 


多くの人が、感情労働です。
いえ、職種に関わらず、労働すること自体が
感情労働なのではないか?と僕は思います。

 


働くことには、感情が伴う。
感情の中には、ストレスも含まれる。
ではそのストレスをどうするか?

 


ここで最初の話に戻りますが、
ストレスの元をAさん、としてもダメなのです。
Aさんの言動と、あなたの心が合わさって、
化学反応を起こした結果が、ストレスなのです。

 


Aさんをどうにかしよう、として
Aさんへの文句・不平不満を、誰かに言っても、
少しスッとしますが、
それは一時的に不満が表出しただけで、
心にストレスは残っています。
また時間と共に、不満が高まり、
心の中で、ストレスは腐敗していくだけです。

 


心の中にある、不満を出すのは、大切な作業です。
これは、一種の外科手術みたいなもので、
心の中の老廃物、膿みをしっかり出す作業です。
ですから、まずは、しっかり時間をかけて、
アフターケアも含めて、プロに頼みましょう。

 


食事会や、酒宴の席で、隣の人(素人)に喋って
運よく、あなたの心の膿みが出たとしても、
その傷口は開きっぱなし、消毒もなし、
またバイ菌が入って、再び化膿し兼ねませんし、
良い結果を生まないことは、ご存知だと思います。
素人の、生兵法は大怪我の基です。

 


そして、
ストレスの元は、Aさんだけではなく、
自分でもあったことを知りましょう。
つまり、自分自身が、受けたストレスを
処理をしていなかった、あるいは、
処理することが出来ていなかったのです。

 

 

ストレスは毎日あります。
そのストレスを、ちゃんと処理していますか?

 


ストレス処理、と言うと、
ゴミ処理みたいですが、
ストレス処理とは、自分の心と向き合うことです。
ストレス処理とは、自分との対峙です。
自分との対峙とは、自分からの学びです。
自分からの学びとは、自分への愛です。
つまり、
ストレス処理とは、自分への愛であり、
人生への愛であり、自分をいたわることなのです。

 


それは、大きな作業でもあるので、
ちょっと本を読んで、知識をつけて、
ちょっと考え方を変えるだけで、
全てが上手くいくとは、期待しないで下さい。

 


あなた自身が、かけがいの無い存在です。
それと同じように、
あなたのストレスの処理も、重みある作業です。
だから、決して、甘く見ないで欲しいのです。
(自分の存在を軽んじている人が、
ストレス処理が上手くいかない理由が、これです)

 


重みのある作業ですから、プロに頼みましょう。
頼むと言っても、お任せではダメですよ。
あくまで、プロに教わり、プロの手を借り、
自分で実践出来るようになるのを、目指すのです。
あなたが、その気になって探せば、
あなたを導いてくれるプロフェッショナルは、
職業・職種にかかわらず、至る所にいるでしょう。
まだ、希望は十分にあります。

 


ストレス処理(自分をいたわること)は、
生きることの基本動作です。
日々、常に意識して、実践するようなものです。
怖い時だけ、悪霊退散の呪文を唱えるのとは違います。

 


生きることは、ほぼストレスの連続。
ストレス処理(自分をいたわること)は、
生き抜くための必須作業なのに、
学校でも、職場でも、あるいは家庭でも、
教わらないのが、不思議なくらいです。

 


誤解を恐れず申し上げますが、
ストレス処理(自分をいたわること)を
未習熟な人が多いことと、
医療費の高騰とは、無関係なのでしょうか?
トラブルや犯罪の増加とは、無関係なのでしょうか?
人口の減少とは、無関係なのでしょうか?
異常気象とは、無関係なのでしょうか?
戦争が無くならないこととは、無関係なのでしょうか?

 


メンタルヘルスの問題。
それは、自分への愛という、壮大なテーマです。
病気の話では有りません。
生存する為の話です。
あるいは、
人生をしっかりフィニッシュする為の話です。
メンタルヘルスとは、
医学的な話だけで済むものではありません。
生活の話でもあります。
労働者だけのテーマでは有りません。
経営者も同じです。
大人だけのテーマでは有りません。
子どもたちも同じです。
生きとし生けるもの、全てに共通のテーマです。

 


だから、僕はメンタルヘルスの問題を
大切に扱っているのです。

 


長くなってしまいましたが、
最後までお読み下さり、ありがとうございました。
いつものように、
『求める人には、必要な言葉が届いていくものだ』
と信じて、僕はこれを書いています。