医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二五日(木)

綴りごと 想いごと

病は気から〜解釈が大事〜

 

「病は気から」という言葉がありますが、

あなたはどのように解釈していますか?

病と言うものは、気持ち(感情)から始まるのだから、
人間は気の持ちよう次第で、どんな病でも治るのだ…
と言う解釈が、一般には多いようです。



誠に失礼ながら、申し上げますと、
それは…ちょっと甘いです。
病を知ってはいるけど、分かってはいない人が、
このような「精神論」に辿り着きやすいかも…です。
しかも、実際の病の体験者・目撃者は、
こう言う精神論的な解釈に、ムッとくるようですから、
どうぞ気をつけて下さい。



本物の病は、
自分自身で気の持ちようすら、変えられなくなる訳です。
なれば分かります。もしくは身近で見れば、
少しは分かるかもしれません。



病は気から。
ここで言う「気」を、「気分・感情」だけだと解釈すると、
大事なことを間違えます、多分。



まず、「気」と言うものは、自分の中から生まれます。
その意味では、「気分・感情」もその一つでしょうが、
それだけではありません。
精神的・肉体的・包括的なエネルギーとしての「気」です。



それはどこから生まれるのか?
気分や感情は、脳から生まれるのでしょうが、
肉体的・包括的エネルギーは、自分全体から生まれます。



東洋医学や、気功の考え方では、
「気は肚(はら)から生まれる」とよく言いますし、
自分の「気(エネルギー)」は、
内臓と関連していると考えるようです。



何れにしても、
自分の内臓も含めた自分全体から「気」が生まれていて、
そこが濁ってくると病になる、と言うことでしょう。



そうなれば、大切なのは、
内臓に直接入ってくる「食事」と言うことには、
なりませんでしょうか?
つまり、食事を見直す事は、
気を見直すことになりませんでしょうか?



もしくは、自分の居る住環境(と言う『場』)も含めて、
自分の気を生み出す場である、と考えれば、
身の回りの環境を掃除して、整える事は、
「気を整えること」になりませんでしょうか?
いわゆる風水も、その考え方ですね。



もっと言うと、
自分の吐いた言葉、頭の中の思想、
これらもエネルギーの一部だとすると、
自分の言動・行動・考え方を適宜、見直す事は、
やはり「気を整えること」になりませんでしょうか?



身の回りの環境の整備、
食事内容の見直し、
言動・行動・思想の見直し、
つまり『総合的に自分の在り方を整えること』が、
『自分の気を整えること』ではないでしょうか?



そういったことを抜きにして、
「病は気の持ちよう!」とか
「玄関の置物の色を変えれば病は治る!」
などと、手間暇を省くように、都合よく解釈して、
どこかの本で読んだ通りにしただけで病が治る、
と言う事は、何十冊本を読んでも、いくらお金を積んでも、
まずもって難しいと思います。
読んだ本が悪い訳ではありません。



むしろ、病に遭遇したら、
『自分の在り方』を見直すサインだ
と思った方が順当な気がします。
心というのは、気分・感情だけのことではありません。
心というのは、自分の在り方・生き方のことです。



ちなみに、「病」とは何か?
これも、病気のことだけを指す訳ではないでしょう。
公私の中の、不和・不納得・不満・事故
感情のもつれ・金銭のもつれ
自分にとって嫌なこと、不都合なこと全般のことでしょう。
つまり、自分の影の部分。
影とは闇、闇とは病み、つまり「病」じゃないでしょうか。



要するに、
個人にしても、集団(家庭・職場・社会)にしても、
やっぱり、病は気から。
病気を含めた様々な不調和は、
個々人の在り方(食事・場の環境・言動行動思想)が、
長い間、見直されないことによって、
発生するのではないか?と考えます。



ですから、僕が取り組んで居るのは、
あくまでも『在り方の見直し』です。
在り方の良し悪しの基準を作って、
それを盲目的に信じることではなく、
自分(自分たち)自身で、見直す行為そのものが、
もっとも大事なのです。



そのことで、
個人や、集団(家庭・職場・社会)を整えていこう!
というのが、僕の活動の基本理念です。
ですから僕は、精神科さん、心療内科さんではないです。
(よく間違われるので、付け加えておきますね)



だから僕は、お前は一体何者か?と聞かれれば、
「ただの、在り方の見直し手伝い屋です。」
と答えます。



ということで、長くなりましたが、
最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
必要な人に、この記事が飛んでいくことを願っています。