病は気から〜解釈が大事〜
「病は気から」という言葉がありますが、
あなたはどのように解釈していますか?
病と言うものは、気持ち(感情)から始まるのだから、
人間は気の持ちよう次第で、どんな病でも治るのだ…
と言う解釈が、一般には多いようです。
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誠に失礼ながら、申し上げますと、
それは…ちょっと甘いです。
病を知ってはいるけど、分かってはいない人が、
このような「精神論」に辿り着きやすいかも…です。
しかも、実際の病の体験者・目撃者は、
こう言う精神論的な解釈に、ムッとくるようですから、
どうぞ気をつけて下さい。
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本物の病は、
自分自身で気の持ちようすら、変えられなくなる訳です。
なれば分かります。もしくは身近で見れば、
少しは分かるかもしれません。
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病は気から。
ここで言う「気」を、「気分・感情」だけだと解釈すると、
大事なことを間違えます、多分。
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まず、「気」と言うものは、自分の中から生まれます。
その意味では、「気分・感情」もその一つでしょうが、
それだけではありません。
精神的・肉体的・包括的なエネルギーとしての「気」です。
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それはどこから生まれるのか?
気分や感情は、脳から生まれるのでしょうが、
肉体的・包括的エネルギーは、自分全体から生まれます。
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東洋医学や、気功の考え方では、
「気は肚(はら)から生まれる」とよく言いますし、
自分の「気(エネルギー)」は、
内臓と関連していると考えるようです。
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何れにしても、
自分の内臓も含めた自分全体から「気」が生まれていて、
そこが濁ってくると病になる、と言うことでしょう。
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そうなれば、大切なのは、
内臓に直接入ってくる「食事」と言うことには、
なりませんでしょうか?
つまり、食事を見直す事は、
気を見直すことになりませんでしょうか?
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もしくは、自分の居る住環境(と言う『場』)も含めて、
自分の気を生み出す場である、と考えれば、
身の回りの環境を掃除して、整える事は、
「気を整えること」になりませんでしょうか?
いわゆる風水も、その考え方ですね。
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もっと言うと、
自分の吐いた言葉、頭の中の思想、
これらもエネルギーの一部だとすると、
自分の言動・行動・考え方を適宜、見直す事は、
やはり「気を整えること」になりませんでしょうか?
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身の回りの環境の整備、
食事内容の見直し、
言動・行動・思想の見直し、
つまり『総合的に自分の在り方を整えること』が、
『自分の気を整えること』ではないでしょうか?
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そういったことを抜きにして、
「病は気の持ちよう!」とか
「玄関の置物の色を変えれば病は治る!」
などと、手間暇を省くように、都合よく解釈して、
どこかの本で読んだ通りにしただけで病が治る、
と言う事は、何十冊本を読んでも、いくらお金を積んでも、
まずもって難しいと思います。
読んだ本が悪い訳ではありません。
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むしろ、病に遭遇したら、
『自分の在り方』を見直すサインだ
と思った方が順当な気がします。
心というのは、気分・感情だけのことではありません。
心というのは、自分の在り方・生き方のことです。
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ちなみに、「病」とは何か?
これも、病気のことだけを指す訳ではないでしょう。
公私の中の、不和・不納得・不満・事故
感情のもつれ・金銭のもつれ
自分にとって嫌なこと、不都合なこと全般のことでしょう。
つまり、自分の影の部分。
影とは闇、闇とは病み、つまり「病」じゃないでしょうか。
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要するに、
個人にしても、集団(家庭・職場・社会)にしても、
やっぱり、病は気から。
病気を含めた様々な不調和は、
個々人の在り方(食事・場の環境・言動行動思想)が、
長い間、見直されないことによって、
発生するのではないか?と考えます。
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ですから、僕が取り組んで居るのは、
あくまでも『在り方の見直し』です。
在り方の良し悪しの基準を作って、
それを盲目的に信じることではなく、
自分(自分たち)自身で、見直す行為そのものが、
もっとも大事なのです。
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そのことで、
個人や、集団(家庭・職場・社会)を整えていこう!
というのが、僕の活動の基本理念です。
ですから僕は、精神科さん、心療内科さんではないです。
(よく間違われるので、付け加えておきますね)
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だから僕は、お前は一体何者か?と聞かれれば、
「ただの、在り方の見直し手伝い屋です。」
と答えます。
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ということで、長くなりましたが、
最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
必要な人に、この記事が飛んでいくことを願っています。