医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二四日(水)

綴りごと 想いごと

メンタルヘルスの大切さ(その1)

 

厳密に言えば、精神科医でも、心療内科医でもなく、働く人を見守る産業医だった僕が、心の健康・メンタルヘルスのテーマを、しつこいくらい大切に扱うには、僕なりの訳があります。(ここでのメンタルヘルスの定義は、長期入院治療が必要な精神疾患を含めません)

 


まず第一に、心の健康状態の悪化、いわゆるメンタルヘルス不調は『誰にでも訪れる可能性があること』が、その理由です。だから、多くの方に認識してもらいたいのです。

 


よくメンタルヘルス不調は、心の弱い人、メンタリティの脆弱な人がなるのだ、と勘違いをされます。逆です。不調になっているから、心が弱っているのです。

 


確かに、人間の個体差、個性として、メンタル面のタフネスに強い・弱いはありますが、それは周囲の環境や、育ってきた家庭環境などにも関連するので、本人だけのせいではありません。

 


ですから、メンタリティが強い人が、鬼の首を取ったかのように威張ることはありませんし、メンタリティの繊細な人が、全て自分の罪のように思う必要もありません。それらは個性であり、出発点です。そこからどうするか?どこへ向かうか?が大切なのです。

 


よくメンタリティの強さを自認している方が、メンタルヘルス不調の人のことを蔑んだような発言・態度をしたり、時に高圧的な表現をしがちなのですが、私に言わせれば、その態度も「一種のメンタル不調」です。

 


これは「相手の状況に対する理解力が低下している状態」あるいは、「自分が理解できない状況に対する(自覚のない)恐怖心を、高圧的な態度や威嚇的な態度で自己防衛しようとしている状態」で、一種のストレス反応と捉えています。

 


お分かりでしょうか?つまり、メンタルヘルス不調と、ハラスメントは紙一重というか、元の根っ子の部分は、ほぼ同じで表出方法が違うだけなのです。そう思うと、不調の方はいっぱいいます。

 


例えばよくあるケースとして、職場や家庭でどなたかが心の健康状態が低下する時、周りの誰かが、精神論や根性論だけを用いて、相手への理解を示さないまま、高圧的な態度で事態を乗り切ろうとしますが、それはつまり、「同じ不調者どおしの言い合い」に過ぎず、いわゆる「目くそ鼻くそ」状態です。だから、問題は複雑化するのです。

 


ですから、自分は心が強い!と言い張る人、自分は心が弱い!と決めつけている人、どちらもケアが必要なのです。(そのどちらでもない人、中庸なバランスを保っている人は、私の実感では、本当に少ないのです。)ただし、ケアと言っても、他人に施されるケアだけでは、メンタルヘルスは改善せず、最終的には自助努力は欠かせません。

 


このように、メンタルヘルスの問題が全ての人に訪れる可能性があるということは、人間は誰しも生きている間に、一度以上は必ず、自分と真剣に向き合わねばならない時が来る、ということなのです。

 

 

メンタルヘルスと言っても、心の不調だけではありませんで、色々なトラブル、体の病気、職場や家庭の人間関係、子育て、親子関係などなど、構造は同じことです。むしろ、生きることには苦難はつきもの。であれば、心の問題、メンタルヘルスの問題は、人生必須のテーマです。怖いからと言って、いつまでも逃げきれるものではありません。

 

 

その人にその時がいつ何時訪れるか?は、分かりません。往々として、突如です。その時に、自分の心の健康状態の低下、自分のメンタルヘルス不調を、人生の恥・落ち度だと思ったり、ただの病気だと思って、医学の力で手っ取り早く取っ払いたいと思ったりしても、大抵は上手くいかないのです。

 

 

何故ならば、心の不調、メンタルヘルス不調は、その人が『自分で自分に出した処方箋』だからです。その人の人生に、必要な学び、改善、仕切り直し、捉え直しなどの要素が沢山詰まっているのが、メンタルヘルス不調です。自分の処方箋を本人がしっかり受け取らない限りは、事態は好転しない、あるいは繰り返すように出来ています。

 

 

ですから、メンタルヘルス不調は、本来は災難ではありません。むしろ、幸せになるための羅針盤であり、贈り物なのです。ですが、実際に心の調子を崩すとそのような前向きな解釈は、なかなか出来ませんし、この処方を受け容れるには、独りでは太刀打ちできないことが多いです。

 

 

だから、できれば生きている全ての方に、いつ訪れるか予測がつかないメンタル不調という苦難であり、贈り物の存在を、あらかじめ知ってもらい、「回避するためではなく」、『受けとめるために』、備えて頂きたいのです。

 

 

そして、もしメンタル不調の時が来ても、あるいは既にその時が訪れていたとしても、自分の存在を否定しないで欲しいと思っています。極寒の冬に、全ての葉っぱが落ちてしまった樹々も、根っこでは生きていて、決して死んでは居ません。春になるのを待っているだけです。そう言う季節・周期なのです。

 

 

尚、誤解のないように申し上げると、僕は、メンタル不調の方を治したり、癒したりすることは出来ません。確かに僕のところに来て「治った!」「癒された!」と言う人は、少なからず居られるようです。ですが、それはその方々が、自分で心の力を取り戻し、自分で自分の不調和を直し、自分を癒し始めたに過ぎません。僕は、単にヒントを提示したり、羅針盤を出して、その人が持つ『生きる力』『治る力』『癒す力』に焦点を当てただけです。

 

 

巷では、「いかにして裕福な成功者となるか?」と言う話題が好まれますが、僕の扱うテーマは『惨めったらしく見えるが、最高に美しい自分の人生を、いかに愛するか?』であり、『もっと貪欲に、色彩豊かな人生を味わってやろうぜ!』です。

 

 

まだ書きたいことはあるのですが、全部書くと本になっちゃうので、今日はこの辺で。この続きはまた今度。いずれ本は出しますから。今日も長文お読み頂き、ありがとうございました。必要な方々に向かって、このコラムが飛んでいきますように。