医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二六日(金)

綴りごと 想いごと

愛が優る

 

僕らは愛に満たされている。

これより他に確かなものは無い。

 

 

この地球には

愛と、愛でないものが混じっているけど

愛の方が必ず優っている。

 

 

愛が優っているから

僕らは存在しているのだ。

愛が劣っていれば

僕らは存在することなど出来やしない。

 

 

目を凝らして

耳を澄まして

心を鎮めてゆけば

僕らの周りに

愛が

ふんだんに満たされていることが

分かるはずだ。

 

 

それが分からなくなった時が

誤作動であり、

不和であり、

病であり、

試練であり、

見失った自分を取り戻すチャンスだ。

それさえも愛の一部だ。

 

 

愛が見えないならば

耳を澄ましてみる。

愛が聞き取れないなら

心を磨いて感じてみる。

 

 

見えないから

聞こえないから

と言って

身の回りに愛が無い

と言うのは

只の早合点というものだ。

 

 

僕らには心の感度という

至高のアンテナが

常に備わっていることを

思い出して欲しい。

 

 

誰かの視線に惑わされてはならない。

世の常識に振り回されてはならない。

誰かに選ばれようとか

誰かに競り勝とうとか

しているうちに自分が消える。

 

 

そうではない。

それでは折角生まれた甲斐が無い。

 

 

自分を生きる。

自分を創る。

自分にこだわり続けて

自分を遊ぶ。

 

 

遊びの中で学んでいく。

頭ではなく体で覚える。

身の回りに溢れる愛を

体で感じ取り

体で表現する。

聞きかじりの知識ではなく

あなた固有の体験で

自分のものにするのです。

 

 

いかに辛くても

今生きてるということが

愛が優っている動かぬ証拠だ。

 

 

仕事やお金

生活や家族をダシにして

あなたの愛から逃げてはいけない。

 

 

そこに愛があるのではなくて

愛はあなたの中にしかない。

そこはあくまでも

愛を学ぶ練習台であって

そこから愛が湧き出るのではなく

あくまでもあなたを源として

あなたの求める愛が湧き上がるのだ。

 

 

あなたの外に愛を求めるということは

あなたの中の愛から逃げるのと同じだ。

 

 

愛から逃げるから

人生がつらくなるのであって

愛が無いから

人生がつらくなる訳ではない。

 

 

こんなものは

宗教でもなんでもなくて

ただの自然の有様だ。

宗教以前から在る不変の事実だ。

 

 

僕らは愛に満たされている。

怖がらなくていい。

 

 

地球という母の

手のひらの上で

どこまでも真剣に

遊べば良いのだから。