愛か愛着か
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私も著書の中で、
愛だの何だのと度々申しておりますが、
愛と言うと皆さん何を想像されますか?
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愛しい人、家族への愛、愛すべきもの、隣人愛など、
愛の対象は皆さんそれぞれあると思います。
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今仮にもしも、あなたの愛の対象が
離れていった時に、或いは消えてしまった時に、
あなたの心が乱れたとすれば、
それは愛ではなく愛着(こだわり)だった
ということでしょう。
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その時、長年自分では愛だと思っていたものは
愛着という別物だったと言うことが分かるわけです。
「失ってみて(愛が)初めて分かる」
というのは、このことではないでしょうか。
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現時点で私が思うに、愛というのは、
何か特別な対象に向かって注がれる
特異なエネルギーではなくて、
如何なる時も平穏な状態のこと
を指すのではないかと考えます。
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何かの増減、遠近、得失、盛衰、
そういったものを踏み越え、包含し、
超越した状態ではないかと。
そういったものの影響を受けない
平穏な状態ではないかと思うのです。
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さらに、物事や人物の盛衰、優劣に関係なく、
私たちの身の回りに(私たちは気づかなくても)存在し、
私たちが自分の良心を
向上させることができるように
導びいてくれるエネルギーのこと
ではないかと思っています。
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私たちの命は
(自分の自覚や感情とは全く別にして)、
愛を目指して生まれ、
愛を目指して生きようとしているのではないか
と思うのです。
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その為に私たちは人生の中で、
愛ではないものや、
愛とは似て非なるものを
沢山経験しているのではないでしょうか?
そうやって私たちの命は愛に向かい、
日夜愛を学んでいるのではないか、
と私個人は考えます。