医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二〇日(土)

綴りごと 想いごと

愛か愛着か

私も著書の中で、

愛だの何だのと度々申しておりますが、

愛と言うと皆さん何を想像されますか?


愛しい人、家族への愛、愛すべきもの、隣人愛など、
愛の対象は皆さんそれぞれあると思います。


今仮にもしも、あなたの愛の対象が

離れていった時に、或いは消えてしまった時に、

あなたの心が乱れたとすれば、

それは愛ではなく愛着(こだわり)だった

ということでしょう。


その時、長年自分では愛だと思っていたものは

愛着という別物だったと言うことが分かるわけです。

「失ってみて(愛が)初めて分かる」

というのは、このことではないでしょうか。


現時点で私が思うに、愛というのは、

何か特別な対象に向かって注がれる

特異なエネルギーではなくて、

如何なる時も平穏な状態のこと

を指すのではないかと考えます。


何かの増減、遠近、得失、盛衰、

そういったものを踏み越え、包含し、

超越した状態ではないかと。

そういったものの影響を受けない

平穏な状態ではないかと思うのです。


さらに、物事や人物の盛衰、優劣に関係なく、

私たちの身の回りに(私たちは気づかなくても)存在し、

私たちが自分の良心を

向上させることができるように

導びいてくれるエネルギーのこと

ではないかと思っています。


私たちの命は

(自分の自覚や感情とは全く別にして)、

愛を目指して生まれ、

愛を目指して生きようとしているのではないか

と思うのです。


その為に私たちは人生の中で、

愛ではないものや、

愛とは似て非なるものを

沢山経験しているのではないでしょうか?

そうやって私たちの命は愛に向かい、

日夜愛を学んでいるのではないか、

と私個人は考えます。