医師 黒木 弘明

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二〇二四年 三月二九日(金)

綴りごと 想いごと

想いの底

頑張る人の中には、自分に優しくすることが、
とても難しいと感じる人が、しばしば居られます。


頑張るとは前進であり、成長であり、
進化であり、克服であり、それによって
自分の価値が高まり、競争に勝ち、夢を叶え、
様々なものを手に入れることができる、
というイメージなのかも知れません。


各人のイメージを否定しませんが、
そのイメージの底にあるものが
何となく気になります。


頑張ることで自分の価値が高まる?
と言うことは…


頑張らない自分には価値がない、
何かをしないと自分には価値がない
というイメージかも知れません。


価値がない自分だからこそ
怠けず頑張らねばならない、
自分の価値が高まれば
ようやく様々な願いが叶う…
というイメージがあるのかも知れません。


あるいは


負けてはいられない、
この世の過当競争で生き残らなければ
生存できなくなってしまう、何も手に入らない
競争に勝つこと、勝ち続けることこそ人生…
というイメージなのかな?


その場合は、
人生は油断のならない競争の場である、
と信じていることになります。


不思議なことに
頑張って勝利を得たはず人が
満たされず、心が落ち着かず
虚しさを感じることが多々あります。


それはその人本人の
イメージから来ています。


イメージとは、自分が信じるものです。
信じるとは、想いや念を送ることなので
ある意味、信仰のようなもの。


イメージとは
想いによる創造なのです。


頑張る人の中に
「ありのままのの自分には
価値がないから頑張る」
というイメージがあるならば


それは実は、いくら頑張っても
自分の価値が出ない仕組みです。


そもそもの自分の価値がゼロだから
ゼロに何をかけてもゼロ。
0 ✖️ 100 = 0


また足し算も同じこと。
頑張った分、自分の価値が足される
かと思いきや、自分のイメージで
自分の価値はゼロと定義しているので
0 + 100 = 100だけど自分の価値はゼロ
という無理くりな計算式を
イメージで造っているのです。


それでは競争こそ人生
というイメージはどうなるか?


イメージの中で人生は常に競争
と定義づけていますから
人生は心安らぐ場所にはならない
という意味になってしまっている訳です。


イメージとは、信じているものであり、
信じているとは、望んでいるということ。
望んでなくても信じていれば
望んでいることになっちゃいます。


価値の無い自分をイメージすれば
自分に価値の無い世界を望んだことになり
それと出逢うことになります。


競争世界をイメージすれば
争いごとのある世界を望んだこととなり
それに出逢うのです。


今こそ私たちの行いの底にある
私の抱いているイメージを
確かめてみる時ではないでしょうか?


あなたの抱く
自分に対するイメージや
人生・世界に対するイメージは
あなたと世界を安らかにしていますか?


仮に安らぎを遠ざけているイメージを
これまで抱いていたとしても
これからゆっくり時間をかけて
イメージを上書きすれば良いのです。


もちろん、自分のイメージを
新しく書き換えることを
阻害する別のイメージが
心の中にドッカリ幅を利かせて
座っていることもありますが


それも怖れることはありません。
新旧のイメージどおしで
時間をかけて話し合うのみです。
(僕はこの話し合いを手伝う人です)


まずはイメージすることが大切です。
これまでの自分にはイメージできないことも
新しくイメージすることから始まります。


まぁ、そんなに硬くならずに
真面目な本ばかり読まずとも
児童文学とか漫画も読んでみなさいよ😉