医師 黒木 弘明

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二〇二四年 五月八日(水)

綴りごと 想いごと

心良き平凡時間

銀行に行った、自転車を停めた。
なんだか視線を感じる。


ふと見上げると、さっき僕が横断歩道で
追い抜いた貴婦人が、明らかにこっちを見ていた。


「あ、どうも」
僕はまるで、浅草フランス座で
働いていた時代の北野武のように
首で会釈してしまった。


「素敵な自転車ね」
と貴婦人は言った。


「え、あぁ、ありがとうございます。
あのぉ、折り畳み自転車なんです」
とまたしても僕は世間慣れしてない声で返答した。


僕がATMの前で並んでいたら
しばらくして、さっきの貴婦人がやってきた。


「あの自転車、外国のようね?」
と仰る貴婦人。あの後しばらく
僕の自転車を観察していたようだ。


「え?あぁ、まぁ、そうなんです。
イギリス製🇬🇧みたいです」
貴婦人の鋭い着眼点に僕はたじろいだ。


「そうよね、やっぱりそうよね。
うん、とても似合ってるわ」
と僕の装いを見ながら貴婦人が言う。


ATMが空いた。


「あ、どうぞお先に」
何故か譲ってしまう僕にも理由がある。
さっき横断歩道で僕が追い抜いたから
本来は貴婦人の方が先に銀行に着いていた筈
だからATMも先に使う権利がある、と思ったのだ。


「いいのよ、急ぎじゃないから」
と貴婦人。


「いえ、いいんです、僕も急ぎじゃないんです」
どっからそんな台詞が出るのか僕は。


そういえば、ここのATMに来ると
時々、身も知らない貴婦人たちに
声をかけられる気がする。


でも褒められて素直に嬉しかったな。
こんなにも思いがけなく
心が晴れたのは久しぶりだ。
これぞ人生の醍醐味の一つだ。


それにあの貴婦人の言い方が
天国のおばあちゃんに少し似ていた。


気づくと僕の胸の奥の方が温かくなっていた。
ありがとう人生。