心の音色
.
.
人様の心に触れることを生業をしていると、
多くの人に共通した一定のリズムがあること
に気づきます。
.
.
当たり前ですが、
訪れる人は困っている時に(僕の所に)
やってくるのですが、困っている時は案外と強気です。
あれが悪い、これに困っているから何とかしたい、
問題の原因をどう処置すべきか?など、
大なり小なり潜在的な怒りを携えている。
だから強気と困惑の狭間にいる。
.
.
この時期に「〜すれば原因に対処できますよ」などと
正論を返しても焼け石に水、効き目が殆ど無い。
あっても問題は程なく繰り返されるばかり。
多くの人はこの強気の峠を
強気に乗り切ろうとするのだが、
そのせいでかえって
峠が越せずに居るようにお見受けする。
もちろん気分もアップダウンし続けていることが多い。
.
.
運良く(誰かの支援を得るなどして)誰も傷つけずに
安全な場所で強気を吐き尽くした人、
或いは、強気では峠を乗り越えられないと感じた人、
知識や理論、理屈、根性、モラル、常識などの
強気一辺倒では問題を解決できない
と痛感した人は、実はその瞬間
本人も気付かぬうちに強気の峠を越している。
.
.
その人たちからは、正直な弱音が聞こえる。
「実は〜が心底怖かったのです」とか
「私は〜の状況がとても嫌だったのです」
などのような、強気とは似ても似つかない、
正直な弱音と涙がこみ上げ、滲み出し、漏れてくる。
これを僕は『ブルーズ』と勝手に呼んでいる。
.
.
この弱音(ブルーズ)が出続けると、
次第に涙の純度が高くなってくる。
初期には、怒りや悔しさ混じりの涙で、
他人を意識した感情的な涙であったものが、
やがて自分自身に向かう、
素直で純度の高い、澄んだ美しい涙となっていく。
それは純粋な自分の今を現したものである。
この純度の高い涙は老廃物ではないので
流れて消えたりはしない。
むしろ自分の心の周りに留まり、
泉となり、湖となり、海となって
自分の心を護る役割を担うこととなる。
.
.
ここまで来ると、
あとは心の自然の摂理に準じて
ことがゆっくりと運ぶ可能性が生まれるのだが、
全く油断はできない。
うっかり慢心すると振り出しに戻る。
順調に進む場合も振り出しに戻る場合も、
いずれにしても人間の持つ『良心の作用』が
現れやすくなり始めると思われる。
.
.
心の中に混じる感情の起伏、
怒りや怖れの峠を乗り越え、
純粋で美しい涙の海からやって来た人から
聞こえてくるのは
『本来の自己表現としての本音』である。
.
.
怒る自分や、途方に暮れる自分が消えた訳ではないが、
その自分を捉えている自分がいる。
初めはさまざまな感情がバラバラで
疲労困憊することがあっても、
心の練習を繰り返すことで、
苦にならない自分を組み立ててゆく。
偏らない自分を築き上げてゆく。
その自分は自分本来の調子を取り戻しているので、
自分生来のリズムを奏でている。
僕はこれを『本音』と勝手に呼んでいる。
本来の音、すなわち本音が聞こえてくる人は、
後は人間の良心(仏性というのかな)に
従って、ありのままに進んでゆくだろう。
.
.
しかし、これで全てが完結した訳ではなく、
数ある中の一つのチャプターが区切られたに過ぎない。
一つ一つのチャプターを描きながら、
人間の一生という物語を生きている私たち
であることには変わりがない。
.
.
そんな訳で僕は、
人の心からブルーズが生まれ、純粋な涙が海となり、
そこからその人の本来のリズムを取り戻す過程を、
あくまでも本人の邪魔をしないように、
過保護にならないように、
慎重に手伝っているつもりだ。
とにかく人間の持つブルーズは繊細であり、
その本音は心の遥か奥に秘められているのだから。