医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二五日(木)

綴りごと 想いごと

心の居場所

小学生の頃からの悩みを脱却した時には

既にオッサンになっていたというお話し。



有能感という心理用語がある。簡単に言うと「自分は〜が得意だ」というのは肯定的な有能感。「どうせ自分は〜が出来ないんだ。自分はダメなんだ」というのは否定的な有能感。



ある心理学者の調査では、入学する高校の偏差値が高いほど、高校2年、3年時の有能感が否定的になる生徒が多いという。そして勉強から遠ざかり、成績も下がるという。つまり、自分の能力を上回る人に囲まれ過ぎると、自分のダメさ加減を不必要に痛感してしまい、その結果やる気が出なくなるということのようだ。



しかも、その時の否定的な有能感は、後に大学進学した際の授業の出席率の低さや、成績の低さにまで影響を及ぼし、社会人になっても人間関係に対する苦手感にまで繋がるという調査もあるから、たかが高校生、たかが受験と馬鹿には出来ない。



それも高校生とは限らず、幼少期に抱いた否定的な有能感(自分がダメな感じ)は、大人になっても引きずるので結構辛い、という調査まであるが、実は僕もそれを体験しているので、凄くよく分かる。



僕が小学校の頃、中学受験ブームで塾に通わされてしまった。(もうこの時点で、子どもの自主的な意思ではないので、心の健康的には×なのだが)僕は勉強よりも遊びたかったので、やる気も出ず、勉強もせず、塾内の順位は落ちに落ち、小学校卒業時には物凄く否定的な有能感が出来上がっていた。反抗期も凄かった。親に殴りかかった覚えもあるし、親には「小学生の頃は悪魔の子みたいだった」と後に言われた。



その時生まれた僕の否定的な有能感は、その後中学生、高校生となって、どんなにテストの点数が良くても、どんなに校内順位が高くても、一向に改善することはなく、それどころか大学時代には人間関係の苦手意識まで発展し、僕としては非常に苦労した記憶がある。



社会人になってもその影響は密かに続き、体を酷使して無理をして頑張り、どんなに業績を上げても、どんなに褒められても「いや、自分は大したことない」という想いが、どこまでもつきまとった。それと同時に心の中では「自分はダメな奴なんかじゃない!」という真逆の想いを叫び続ける自分が居て、その両者が常に心の中でぶつかり、葛藤していた為に、毎日多大な心的エネルギーを消耗していた。



学生生活も社会人生活も、かなり苦手だったけど、色んな人と出逢い、酸いも甘いも見てるうちに、「なんだ、凄いって言われる人でも苦しそうじゃん。ダメだって言われる人でも、結構凄いわ。なんだ、僕はフツーの方じゃないのか?」と少しずつ思えるようになってきたが、まだまだ否定的な有能感は残っていた。



しかし幸運にも、奇跡的に、信じられないような素晴らしい人たちが僕の人生には数人登場し、「あなたは決してダメじゃない」「あなたは素晴らしい」というメッセージを何度も何度も、何千回、何万回と繰り返し発してくれたおかげで、知らないうちにとは言え、自分がいかに否定的な有能感を隠し持っていたかを、冷静に自覚できるようになってきた。その様子は正に、光に照らされて影が浮き出るかのようだった。愛に照らされ闇が炙り出たのだ。



そこから自分と向き合う日々が続いた。最終的に自分を自分で赦すために。自分で自分を愛するために。なかなか大変だったが、日々の出来事に伴って現れる自分の感情を題材に、内観・内省を続けた。ある時、何とか否定的な有能感を克服したかなぁ…最近やっと心が静かになったなぁ…と感じたが、その時気づけば僕は中年のオッサンになっていた。



なんて話を書くと、僕が順風満帆に生きてきたイメージがある人には、あまり信じてもらえないけど、これが本当の話しです。全然、順風満帆じゃないです(笑)



僕の中の否定的な有能感を克服するまでに、実に30年以上の年月を費やしたが、今ではその経験を自分の揺るぎない個性と位置付け、かつての自分のように人知れず心の葛藤で苦しむ人たちのサポートに回るべく、現在の活動をしているから、別に何の文句も無いんです。



自分の居場所は、
自分のイイ場所で在りたい。
イイ場所は心の中にも必要。



心のイイ場所づくりのお手伝い、
それも僕の生業のひとつです。