医師 黒木 弘明

メニュー

二〇二四年 五月三日(金)

綴りごと 想いごと

役を洗う

 

よく俳優さんが、長い期間の映画やドラマの撮影で、
役を演じた後、演じた役のキャラクターや話し方や
行動パターンが、私生活でもしばらく残ってしまう
ことがあるそうで、これを俗に「役が抜けない」と
言うそうですね。

 

 

これ俳優さんだけの話でしょうか?
いえいえ、私たちにも言えることです。

 

 

職場では、部長さんとか店長さんとか
アルバイトという役をそれぞれ務めていますし、
学校なら、学生、生徒、児童という役、
幼稚園保育園では、園児という役を務めています。
みんな役を持ってます。

 

 

それに対して家の中ではどうでしょう?
プライベートな家の中では役を演じないか?
と言えば、案外そうでも無い訳です。

 

 

妻という役、夫という役、親という役、
子どもという役、飼い主という役など
家の中だって、役を演じて務めています。

 

 

みんな役を演じている。
で、問題はここから。

 

 

今の貴方は

演じている役ですか?
それとも貴方自身ですか?

 

 

役の抜けた貴方はどこに居ますか?
貴方が、役の抜けた貴方と
最後にお話しをしたのはいつですか?

 

 

 

家の中でも外でも役を演じる現代人。
役を演じる時間が長ければ長いほど
役が抜けない、役から抜けられない。
それはそれで悪いとは言いません。

 

 

しかしながら、役が抜けないで
貴方の人生が終わろうとしてませんか?
本当の貴方はどう感じているのでしょう?

 

 

例えば
「この出来事について貴方はどう思いますか?」
と訊くと

 

 

「私は母としては、これは困りますね」とか
「会社としては、受け入れ難いですね」とか
皆さんお応えになる。

 

 

あの…質問聞いてましたか?
貴方はどう思うか?と伺ったのですよ。
貴方の立場を聞いたのではありませんよ。

 

 

だけど大半の人が自分と役を混同して
物事を考え、表現しておられる。

 

 

いつでも母親目線、
いつだって社長目線、
どこだって会社員、
永遠に子ども役を強いている親子関係、

 

 

そんなんじゃ本音の話が出来ません。
それは人間の会話じゃなくて
役を演じた会話、お芝居です。
それじゃ心が通う訳ないでしょ。

 

 

例えば、夫婦の会話だって
母と父の会話だけじゃ噛み合わない。
人間としての本音の会話が必要なんですから。

 

 

親子の会話だってそう。
子どもは親の言葉なんて聞きたかない。
親という役の抜けた人間の本音を聞きたいの。
なのにいつも父親目線、母親目線の
話しっぷりをされると、子どもは永遠に
子ども扱いなので、両者の間に
人間としての心が通わないのは当たり前。

 

 

職場だってそう。
部下は上司の言うことを聞くのが当たり前だと

思って上から目線で話す上司と、
上司は部下を守るのが当たり前だと
思ってる社員の部下目線の交錯では、
会社の体裁は守ることはできたとしても、
人間としての本音の繋がりができる訳がない。

 

 

役としての会話ばかりしてると
心が繋がらない、心が通わないのです。

 

 

24時間365日の中で
貴方が貴方で居られる時間は
さほど長くないのかも知れない。

 

 

中には役に自分を捧げる人も居る。
それも生き方。

 

 

ただ、もしも、貴方の中に
何とも苦しいことがあるならば、
それは役を演じることだけでは
解決できないのかも知れない。

 

 

立場としての役と
心としての本音が
貴方の中で繋がっていない
のかも知れない。

 

 

自分の役を抜いて
自分の心と向き合う。
自分の心の本音を聴いてあげる。
そうやって役と心を繋げる。
それが悩むって作業です。

 

 

自分の心の本音が抱きしめられなければ
他人と心を通わせることは難しい。
役では心は繋がらない。

 

 

それは親子でも夫婦でも身内でも
どんなに近い人間関係でも
役では維持できない。
むしろ近い人間関係こそ
心を求めるものだから。

 

 

貴方の役、抜けてますか?
自分の本音、抱きしめてますか?

 

 

役を抜いて
厄を洗って
躍進するんです。

 

 

私は心の石けん売りです。
役を洗って心を見つける人のために。