医師 黒木 弘明

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二〇二四年 五月二日(木)

綴りごと 想いごと

大切にする

不足を埋める、埋めることで満たす、

満ちることが健やかだ、

と私たちは頭で考えがちです。


たとえば、寂しいから寂しさを埋める。
不足分を埋めることで自分を満たす、
非常に合理的な方法ですが、
実はこのやり方は「自分」への対処ではなく、
自分の「寂しいという感情」への対処です。


つまり、「自分」を大切にしているのではなく、
「自分の感情」を主軸に行動しています。
自分が感情に取って代わられています。


自分を大切にするのであれば、
寂しいという感情を抱いている『自分』に
着目するのが、本筋のように感じます。


自分の中にはどんな感情が潜んでいるのか?
自分はなぜそのような感情を抱いたのか?
自分の何処からその感情がやってきたのか?
自分がその感情にこだわるのは何故なのか?
など自分に着目することから始まります。
一人でできなければ、助けを借ります。


不足分を埋めることで一時的に、
自分が満ち足りる感触は有りますが、
その時満ちているのは自分ではなく、
満ち足りた感情が生まれているだけなので、
肝心の自分は不足したままです。
満足した興奮もほどなく冷めるので、
埋めることで得られる満足は、
私たちが憧れるほど長続きはしないことがあります。


つまり「不足という感覚」を握りしめている限りは、
自分の中から不足は消えない、
満足は生まれない、ということになります。


逆にいえば、
不足という概念にこだわらなくなった時から
満足が始まるのかも知れません。


このように、本当に自分を大切にするということは、
自分の中の感情を見つめ、
さらに感情の向こうに居る自分を見つめ、
その自分に手を差し伸べることから始まる、
と私も感じています。


メディアの発達の副作用として、
情報が飛び交い過ぎて、それを見る人たちの感情が
巧みに刺激され、操作され易くなり、多くの人が
自分の感情と自分の区別が付かなくなりつつあります。
その結果「満たすことだけが健やかなことである」
という考えに陥っているのかも知れません。
戦後ずっとそうなのかも知れません。


満たすという男性性にこだわる所から
満たさなくても良いという女性性にも
着目したい所です。


不足にも味わいがあり、
大切な学びが含まれています。


情報や刺激、満足感とも適切な距離を置き、
感情で霧がかった自分を見失わずに
しっかり自分で自分の手を引いてあげる
というのも大切なことだと感じます。