大切にする
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不足を埋める、埋めることで満たす、
満ちることが健やかだ、
と私たちは頭で考えがちです。
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たとえば、寂しいから寂しさを埋める。
不足分を埋めることで自分を満たす、
非常に合理的な方法ですが、
実はこのやり方は「自分」への対処ではなく、
自分の「寂しいという感情」への対処です。
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つまり、「自分」を大切にしているのではなく、
「自分の感情」を主軸に行動しています。
自分が感情に取って代わられています。
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自分を大切にするのであれば、
寂しいという感情を抱いている『自分』に
着目するのが、本筋のように感じます。
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自分の中にはどんな感情が潜んでいるのか?
自分はなぜそのような感情を抱いたのか?
自分の何処からその感情がやってきたのか?
自分がその感情にこだわるのは何故なのか?
など自分に着目することから始まります。
一人でできなければ、助けを借ります。
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不足分を埋めることで一時的に、
自分が満ち足りる感触は有りますが、
その時満ちているのは自分ではなく、
満ち足りた感情が生まれているだけなので、
肝心の自分は不足したままです。
満足した興奮もほどなく冷めるので、
埋めることで得られる満足は、
私たちが憧れるほど長続きはしないことがあります。
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つまり「不足という感覚」を握りしめている限りは、
自分の中から不足は消えない、
満足は生まれない、ということになります。
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逆にいえば、
不足という概念にこだわらなくなった時から
満足が始まるのかも知れません。
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このように、本当に自分を大切にするということは、
自分の中の感情を見つめ、
さらに感情の向こうに居る自分を見つめ、
その自分に手を差し伸べることから始まる、
と私も感じています。
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メディアの発達の副作用として、
情報が飛び交い過ぎて、それを見る人たちの感情が
巧みに刺激され、操作され易くなり、多くの人が
自分の感情と自分の区別が付かなくなりつつあります。
その結果「満たすことだけが健やかなことである」
という考えに陥っているのかも知れません。
戦後ずっとそうなのかも知れません。
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満たすという男性性にこだわる所から
満たさなくても良いという女性性にも
着目したい所です。
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不足にも味わいがあり、
大切な学びが含まれています。
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情報や刺激、満足感とも適切な距離を置き、
感情で霧がかった自分を見失わずに
しっかり自分で自分の手を引いてあげる
というのも大切なことだと感じます。