医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二五日(木)

綴りごと 想いごと

夢は聞かない

 

大人になったら何になりたい?
将来の夢は何ですか?…じゃなくてさ、
自分を何者として定義して自負するか、ではないかな。

 

 

若い人に「将来は何になりたいですか?」
「あなたの将来の夢は何ですか?」などと
重大な問題を気安く尋ね、その回答を求めたり、
将来の目標を立てさせることが、さも教育かのような
風潮が、昔っからあるけども、そんなんで大丈夫かな?

 

 

今、自分が何者なのか?
自分はどんな人間なのか?

 

 

この問題をすっ飛ばして、偏差値を使って
将来の夢を追いかけさせて大丈夫なのかい?
夢って、自分以外の何者かに成りすますこと
じゃないよね?夢であろうと、将来であろうと、
今であろうと、どこまで行っても自分なんだから。
自分からは誰も逃げられないんだよ。

 

 

たとえば、分かりやい所で言うと、
医学部の学生さんで、将来の夢がお医者さんです…
って言う学生さんと僕は、あまり縁が無いです。
医師国家試験をパスしたらお医者さんだから、
そこで夢は終わり。教えることは何も無いからです。

 

 

お医者さんじゃなくてさ、
自分になるんじゃないのかい?
自分がよく分からないから学ぶんだろ?
あんたは一体何者だ?
君にはどんな力が秘められているんだ?
自分をどうやって表現してゆくんだ?

 

 

それが分からないまま、医学部生が
職業としてのお医者さんになってもさ、
生活と命が懸かってる患者さんにとっては
ありがた迷惑なんだよな!

 

 

って話しを僕はしておりますが、
この手の話は、学生ウケが悪いです(笑)
どうやったら成功出来るかが聞きたいらしい。

 

 

資格や職業を使って
自分以外の何者かに変身するのではなく、
他人や社会や不意な出来事に削られながら
自分にぶつかったり、自分に幻滅したり、
そんなことの繰り返しの中で手元に残ったもの。
それが自分ではなかろうか。

 

 

自分にはこれしか残ってないんだ!
これが自分なんだ!これしか無いんだ!
というものを、社会や世界や宇宙に向かって
表現し続けてようやく、夢というものが
見えてくる気がするんです、僕は。

 

 

自分を忘れて何者かになり済ましてる人は
どこか冷めてるけれど、
自分を掴んで自分になってる人は
やっぱり熱い、もしくは、ほんのり温かい。
どっちになるかは自分の選択。正誤ではない。