医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二七日(土)

綴りごと 想いごと

夢とうつつ

僕らが現実と呼んでいる世界は
本当にリアルなのかな?


昔はこんな事は思わなかったんですが
最近は、この現実世界こそが現実の全てだ!
とは思いにくくなってきたんですよね。


私たちは、寝ると夢を見ますが、
確かに夢の記憶がボンヤリしてるので
夢の方が仮想で、起床時の方が現実、
と感じる人が圧倒的多数だと思いますが、


でも…なんでしょう?この感覚。
現実世界と呼ばれるこの世界は
本当にリアルなのかな?
と疑いたくなるんですよね。


むしろ夢の世界の方が
リアルなのではないかな?
と感じる時がありませんか?


実際に五感など、色んな感触があるので
私たちはそれに従って、この世界は現実世界!
と思っていますし、そう教わってますが、


それでは…私たちは
五感の言うなり、五感のしもべ、
ということになってしまう気がします。


確かに五感によるリアルな感触はある、
そこから生まれるリアルな感情もある、
だけども、それらに永遠に追従する義務も
もう無くなってきた気するのです。


だから、感触や感情だけを信奉する
シングル・チャンネルだけではなく、
何となくこの世界を斜めから見るような
セカンド・チャンネルを持っておくことで
現実世界に没入し過ぎないようにする…
っていうのは、どうですか?


良いことがあると、それが永続して欲しくなる、
嫌なことがあると、一刻も早く消えて欲しくなる、


これを「人間の性」と一口に省くのではなくて
これも僕たちが感情と感触のシングル・チャンネルを
盲信している様子、現実世界に過没入している様子
なのでは?と思ったり。


だからイメージを少し変えてみて、
この世界の方がゲーム的な仮想世界であって、
僕らはここでしか出来ないような『体験』を求めて
生きている(プレイしている)のでは?
と仮定すると、どうなるでしょう?


毎日夢の世界から目が覚めて
このゲームのような世界にログインして
体験というゲームを今日もプレイする。


仮にそうだとすれば、
足元の自分の心が晴れるような体験
を求めてゆくのが、
このゲームの基本なのかな?


逆にこの世界で少々傷ついても、
少々上手くいかなくても、
現実風のゲームの中のことなので
僕らの本質には影響ないので大丈夫。
大切なのは『体験』『経験』の方。


っていう発想は
ぶっ飛び過ぎですかね?
ついて来れないですか?(笑)


そんなことを、日柄一日寝ているうちの白猫と
「トルゥーマン・ショウ」「マトリックス」
「フリー・ガイ」などの映画を観ていると、
想うんですが、どうでしょうか?😃