夢とうつつ
.
僕らが現実と呼んでいる世界は
本当にリアルなのかな?
.
.
昔はこんな事は思わなかったんですが
最近は、この現実世界こそが現実の全てだ!
とは思いにくくなってきたんですよね。
.
.
私たちは、寝ると夢を見ますが、
確かに夢の記憶がボンヤリしてるので
夢の方が仮想で、起床時の方が現実、
と感じる人が圧倒的多数だと思いますが、
.
.
でも…なんでしょう?この感覚。
現実世界と呼ばれるこの世界は
本当にリアルなのかな?
と疑いたくなるんですよね。
.
.
むしろ夢の世界の方が
リアルなのではないかな?
と感じる時がありませんか?
.
.
実際に五感など、色んな感触があるので
私たちはそれに従って、この世界は現実世界!
と思っていますし、そう教わってますが、
.
.
それでは…私たちは
五感の言うなり、五感のしもべ、
ということになってしまう気がします。
.
.
確かに五感によるリアルな感触はある、
そこから生まれるリアルな感情もある、
だけども、それらに永遠に追従する義務も
もう無くなってきた気するのです。
.
.
だから、感触や感情だけを信奉する
シングル・チャンネルだけではなく、
何となくこの世界を斜めから見るような
セカンド・チャンネルを持っておくことで
現実世界に没入し過ぎないようにする…
っていうのは、どうですか?
.
.
良いことがあると、それが永続して欲しくなる、
嫌なことがあると、一刻も早く消えて欲しくなる、
.
.
これを「人間の性」と一口に省くのではなくて
これも僕たちが感情と感触のシングル・チャンネルを
盲信している様子、現実世界に過没入している様子
なのでは?と思ったり。
.
.
だからイメージを少し変えてみて、
この世界の方がゲーム的な仮想世界であって、
僕らはここでしか出来ないような『体験』を求めて
生きている(プレイしている)のでは?
と仮定すると、どうなるでしょう?
.
.
毎日夢の世界から目が覚めて
このゲームのような世界にログインして
体験というゲームを今日もプレイする。
.
.
仮にそうだとすれば、
足元の自分の心が晴れるような体験
を求めてゆくのが、
このゲームの基本なのかな?
.
.
逆にこの世界で少々傷ついても、
少々上手くいかなくても、
現実風のゲームの中のことなので
僕らの本質には影響ないので大丈夫。
大切なのは『体験』『経験』の方。
.
.
っていう発想は
ぶっ飛び過ぎですかね?
ついて来れないですか?(笑)
.
.
そんなことを、日柄一日寝ているうちの白猫と
「トルゥーマン・ショウ」「マトリックス」
「フリー・ガイ」などの映画を観ていると、
想うんですが、どうでしょうか?😃