命として
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「人として」という言葉が頻繁に
行き交うようになった気がします。
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人として、あの人どうなの?
人としてダメでしょ?
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こんな遣われ方をしている気がします。
どちらかと言うと、否定的な文脈の中で
「人として」という言葉が遣わやすいのかな?
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それを聞く度に、僕は何だか
ちょっと複雑な気分になる。
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人として…人間として…
つまり全人類を定義づける言葉。
う〜ん、僕には簡単には語れない言葉だ。
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その言葉が出てくる前には
こんな言葉で代用していた気がする。
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「道徳的には」
「人道的には」
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それぞれ信じる道徳や道が違うし、
違って良いからこそ、遣わなかった言葉。
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思えば、昨今の人間関係は
お互いの「として」が噛み合うかどうか?
で決まってしまう気がする。
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社会人として、組織人として…
家庭人として、妻として、夫として…
大人として、子として、親として…
家族として、跡継ぎとして…
女性として、男性として…
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例えば、僕がある人と交流を持つ。
僕は「友人として」のつもりでも
向こうが「商売相手として」ならば
この人間関係は噛み合わない。
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求めるもの、応えるもの
それが「として」に括られてしまう。
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それに気づいたのは昔、ある人から
「お前、日本人として最悪だな」
と言われた時だった。
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僕にとって日本人という単語は
日本に棲んでいる人という意味だったが
その人は違ったようだ。
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僕たちは、いつしか
自分が放つ「として」という言葉に
人間関係を縛られている気がする。
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「〜として」…と言う時
まるで、その言葉が意味する範囲を
全て司っているかのような
そんな全能感が心地よいのだろうか?
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つまりアレだ、
自分の意見を言う時に
「みんなそう言ってるよ」
と言うのと同じか。
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自分が信奉している「として」を
他人が飲み込んでくれたら仲間、
それが出来なかったら敵、
そういうことか。ふ〜(笑)
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貴方はいつも「〜として」暮らしてるの?
「として」の着ぐるみをずっと着てて、
暑くないですか?息苦しくないですか?
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どちらかと言うと僕は
「として」着ぐるみの中の
本体の人とお話ししたいんですけど。
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って、尋ね返したくなる時もあるなぁ。
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着ぐるみの言葉は、流暢だけど冷たい。
本体の言葉は、ぎこちないけど温かい。
まぁ、ケースバイケースか。
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として、として、として…
そんなに何でもかんでも
規格に当てはめなくても
心の通い合うお話はできるから
まぁ、お茶でも飲んでよ🍵
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「として」と言うのは役割かな。
役割というポジション・居場所なのかな。
ポジションという保護具・鎧なのかもね。
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つまり「として」は
自分の居場所を確保して、
他から攻められないようにする為に、
自分の正当性を主張する為の道具かな?
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要するに「として」に
保護してもらいたいんだな。
何かが怖いんだな。
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こんな世の中、怖いのは凄く分かるけど
もうそろそろ「として」の無い世界があっても
良いんじゃないかな?って思うんですよ、僕は。
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人として…と言う前に
まず「として」が無い自分も
大切にしたい気がします、僕は。
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重い心は「として」の鎧のせいかもよ。
苦しいのも「として」から来てるのかもよ。
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そんな「として」鎧を脱いで裸になって、
安全に素直な想いを打ち明けることのできる、
安心できる、安寧な場所と時間が
やっぱり僕らには必要だよ。
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役割の無い自分。
個の自分。
命としての自分。