医師 黒木 弘明

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二〇二四年 五月一七日(金)

綴りごと 想いごと

修行期間

 

趣味でも、仕事でも、

思い通りのパフォーマンスが

出せるようになるまでに

『修行期間』があると言われてます。

 

 

いわゆる『修行期間』は
思い通りのパフォーマンスが出ないので
大変苦しい時代になる人も多いです。

 

 

僕の仕事にも『修行期間』はありました。
全然思い通りにならないし、
結果も出ないし、怒られるし、
自責の念に苦しむし、イラつくし、
月曜は憂鬱だし、体調は悪いし…

 

 

今「当時と同じことをやって下さい」
と言われても、多分無理ですね。
それくらい厳しかった『修行期間』。

 

 

僕の修行期間は何年続いたんだろう…
少なく見積もって7年くらいかな?
いやぁ長い!長いよ!

 

 

しんどい修行期間ゆえに
修行そのものが苦しくて
途中で辞めてしまう人が
沢山いても、仕方がないです。

 

 

そんなに辛い修行期間って
本当に必要なんだろうか?
本当にそこまでやらないと
いけないんだろうか?
って、この頃思います。

 

 

少し話は脱線しますが、
革靴にも『修行期間』がある、
と言われます。

 

 

たとえばローファーと言われる革靴は
紐が無いので微調整ができないので
最初は硬め、キツめのサイズを買って
痛いのを我慢して履き込んで、修行して
自分の足の形に革を馴染ませる…
というのがセオリーらしいのですが

 

 

まぁ、これが痛い訳ですよ😣
靴擦れは当たり前、歩いていないと
足が痺れてくることもあります。
これが修行期間か…って思うけど

 

 

こんなに痛かったらもう履かない!
って思う方が普通かな?って思います。
痛かったら、まず履き続けられないよ。
最初っから履きやすい靴じゃないと!
って思います。
(後年、大阪のvさんというお店で
痛くない革靴と出逢って感涙した)

 

 

だから仕事の修行期間も
革靴と同じで、あまりにも辛いと
やっぱり続かないし、仕事自体を
嫌いになってしまうこともあり得る、
と思ってます。

 

 

その一方で、話戻りますが
写真の革靴ローファーは約4年近い、
靴の修行期間を経て、ようやく
足馴染みが良くなりつつありますが、
やっぱり修行期間が長過ぎる気がするが

 

 

それくらい(期間を設けず)
自分の靴を信じ続ける
ということが大切なのかも!
と今思います。

 

 

辛い修行期間、凹む事ばかりでも
自分しか自分を信じてくれないから、
とにかく信じ続けるのが大切かも。

 

 

修行期間…
どれくらいの強度で
どれくらいの期間が適正なのか?
未だに僕には分かりません。

 

 

辛い修行が実を結ぶこともあれば、
辛い修行がトラウマになることもある。

 

 

辛い修行以外に人生を楽しむ方法が
あっても良いはず!と思うんだけど

 

 

おそらく修行なんかをしなくても
修行を避けたとしても
苦しい体験はフツーにやってくる。

 

 

わざわざ辛い修行を選ばなくても
人生が修行みたいなもんだから、
生きてるだけで修行期間なんだろう。

 

 

となれば、答えは明白だ。
修行しても、しなくても良い。
修行したければすれば良いし、
やめたければやめれば良いのだ。

 

 

目標は大切だけども
修行したら何年で実を結ぶとか、
何年修行したら幸せになるとか、
勝手な皮算用をしなけりゃ良い。

 

 

自分の小さな頭で
幸せの時期や、幸せの形を
勝手に想定したり、
勝手に期待するのはやめよう。

 

 

むしろ自分の想定外の
豊かな幸せが到来することを
信じようではないか。

 

 

信じ続ける。
自分を信じ続ける。
信じるということは
生きることなんだ。

 

 

信じる自分が見つからないよ、
という人は、
信じることのできる自分と
必ず出逢う!と信じ続ければ良い。

 

 

だから、生きるだけ。
生き続ければ良いのだ。
生きることが大切なんだ(完)

 

 

●後記●
なお、僕の修行期間ですが
今もバッチリ続いています😃