医師 黒木 弘明

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二〇二四年 五月二〇日(月)

綴りごと 想いごと

依存と自立

 

嫌なものは嫌、と言えないとしたら、

それは何らかの依存かも知れない。

 

 

自分で望んでしたい訳ではなくて、
自分でも何故だか分からないけれど
見えない何かに縛られているのが依存。

 

 

逆に言うと、
相手の行動を操作するのが
依存させる側の目的の一つでもある。
これは相手を支配する手法でもあり
太古の昔から今に至るまで
人類の歴史の中で長く続いている。

 

 

現代で依存が発生しやすい場所は
家族、恋人関係、職場、地域など
ありとあらゆる所に存在し得るが
それは人間が生きる過程で何らかの依存を
くぐらねばならない事を意味している。

 

 

ちなみに、依存している人は
誰かを依存させようとする傾向があるため
連鎖しやすいのも依存の特徴である。

 

 

依存が悪なのではなく
大切なのは、自立である。
嫌なものは嫌、と言えるのが自立。
依存があるから自立がある。

 

 

依存してしまっている自分
依存させられてしまっている自分
あるいは、依存させてしまっている自分を
知った時から徐々に自立への道が始まる。

 

 

依存は通り道。
通り過ぎれば良いのだから。
通り過ぎて自立に向かえば楽になり
そのままとどまると苦しい訳だから。

 

 

たった独りで自立する人は居ない。
あらゆる助けを得てみんな自立する。
嫌なものは嫌、と支配者に言えなくても
その気持ちを誰かに打ち明ける所から
ゆっくり自立は始まるのだから。

 

 

依存が生きる術だった時代もあるが
もしも貴方が死ぬほど苦しいのであれば
自立に向かってゆくのも一つの生き方だ。

 

 

生きるとは、生きている間に
自分を楽にすることなのだから。
まだ希望はある。まだ愛は続く。