医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月一九日(金)

綴りごと 想いごと

亡き父の言葉

 

4月4日は、私の亡き父の誕生日でした。

ムスカリの花が綺麗な時季です。

 

 

父も例外にもれず、波乱万丈な一生でした。

その父と私は、生き別れていた時期もあり、

一緒に過ごした時間は多くはありませんでしたが、

生前の父は私にこう言いました。

 

 

「後悔するようなことが多いが、

唯一行った良いことと言えば、

お前をこの世に生み出したことだ。」

 

 

今年の父の誕生日は、奇しくも

最愛の祖母が天国に還って、四十九日と重なりました。

祖母も父同様、私を愛してくれました。

二人とも寅年でした。今も心から感謝しています。

 

 

私たちはつい、身に起きた幸せと不幸を

足し引きしてしまいます。

不幸が幸せより勝ると、自分は不幸だと感じます。

 

 

しかし、この足し算・引き算は、不公平です。

不幸を、幸せよりも大きく見積るのが人間の特性です。

 

 

また、本来はこの足し算引き算は、不成立です。

何故ならば、

不幸が幸せを打ち消すことは出来ないからです。

 

 

仮に今、あなたが不幸を感じているとしましょう。

しかし、そのことであなたがこれまでに受けた幸せが

消滅するということはありません。

 

 

あなたの今の気分が、

不幸な方に傾いているというだけで

あなたが愛によって守られ、

今日まで生きてきた、という事実は不変です。

 

 

生まれてきた時、私たちは何も出来ません。

寝返りを打つことも、食事をとることも

オムツを交換することさえも

自分では出来ません。誰かがしてくれたのです。

 

 

文字を読むことも、言葉を覚えることも

一人では出来ません。誰かが教えてくれたのです。

 

 

あなたは自分の洋服を全て

自分でデザインし縫製していますか?

あなたは自分の食物を全て自分で生産していますか?

あなたは電気や電波を全て自分で賄っていますか?

必ず、誰かのお世話になっているはずです。

 

 

誰かのお世話になっている。

それが愛され、守られているということです。

 

 

あなたが愛され、守られているという事実が

不幸に思える出来事や感情によって

消滅するということはあり得ません。

 

 

不幸と幸せ。

両者は別勘定です。

いっしょくたにしてはいけません。

 

 

万が一、今日あなたが不幸を感じたとしても

それは、あなたが受けてきた愛に

感謝しない正当な理由にはなりません。

 

 

仮に今不幸でも、幸せでない訳ではありません。

無闇に、幸せと不幸を混ぜないこと。

 

 

月は太陽にはなれません。

真冬に蝉は鳴きません。

あなたはあなたです。

みんなそれぞれ独立した存在です。

 

 

今日を生きているということは

愛されてきたということです。

愛は愛。何処へも行きません。

ただ、私たちが惑い、

愛を見失いかけるだけのことです。

 

 

笑顔と感謝を続けることで

あなたが愛に彷徨うのを防いでくれます。

 

 

道端に咲く花々さえも

悩めるあなたを

見守ってくれているのですよ。