医師 黒木 弘明

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二〇二四年 五月二日(木)

綴りごと 想いごと

不合格もまた合格

「先生、試験ダメでした。こんな自分が生きてる意味って何なんでしょう?」春にはそんな問いかけが来ることも少なくありません。以下は、その子と私の問答です。


●私●「まずは試験お疲れ様。不合格という結果で、自分の存在が否定された感じがしたのかな?私もテストには沢山落ちたから、そう感じるのは分かるよ。さて肝心の生きる意味についてだ。これはね、実はテスト問題じゃないんだよ。どこかの教科書に書いてあるのを覚えて、答案用紙に書いたら合格っていうのとは訳が違うんだよ。教わって分かるテーマじゃなくて、自分で創り出すテーマなのよ。知識として分かるじゃなくて、体験から判るものだからね。君が生きることで判ってくるのが君の生きる意味だよ。」


◎質問者◎「でもこんな自分、世の中に居ても、誰の役にも立たないし、意味が無いような気がします…」


●私●「気持ちは分かる。けどちょっと待ってご覧。誰かの役に立たないと、この世に存在してはならないのかな?誰かの手を煩わせたら君の存在価値が下がるのかな?大切なことだから何度も言うけど、生きるということとテストは違うんだよ。点数とか偏差値とか合否判定とかじゃないんだ。


それにね、誰かの役に立つってね、意外と危ういんだよ。そもそも役に立つってのは、誰が判定するのかな?親?上司?社会?じゃあ、その人たちが君の存在価値を決めるのかな?偏差値みたいに?そんな偏差値に君は身を委ねて生きるのだとしたらね、何百年経ったって生きる意味は見えなくなっちゃうよ🙃


役に立ってる、というのも実は結構、独りよがりな視点でもあるんだ。それにこだわり過ぎると何かと危うくなることが多いな。俺は社会の役に立ってるんだ!って胸を張ってる人って、裸の王様みたいなモンでね、案外もろいんだよ。」


◎質問者◎「でも希望の進路に行けませんでした。何が悪かったのでしょう?努力不足でしょうか?」


●私●「欠けているものよりも備わっているものを。何故そうなったかよりも今からどうするか。不合格って、みんな残念がって、まるで悪いことのように言うよね。ところがだ!むしろ不合格で良かった、不合格によって君が救われたってことも充分にあり得るんだよ。


進路は、狭い視野で見る限り、まるで試験の合否によって決まっているように見えるんだけど、実は少し違う。そこには我々には把握できないような作用があって、結局はそれを『ご縁』と解釈するしかないんだと思う。ご縁があれば、その試験に通るだろうし、ご縁が無ければ何故か試験で力が出せなかったりするんだよ。ご縁っていうのは、君を倖せに導く作用のことで、スピリチュアルでも何でもない。全ての人に毎日のように働いている倖せの作用のことだよ。」
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◎質問者◎「でも試験に通らなかったので不幸です。悲しいです、やっぱり。それなのに倖せの作用があるとは感じないのですが」


●私●「願望が叶わなかったのが悲しいよね。一種の別れだからね。それは分かるよ。否定しない。しかしながら、悲しいから不幸とは限らないんだよ。


倖せっていうのは何でも思い通りになることではなかったりするよ。何でも思い通りになる人も居るけど、話を聞くと逆に不幸だったりする。倖せとは様々な体験の中で、自分を味わい尽くすということだよ。


今の君は、誰かによって付けられた不合格というラベルに感情として落ち込んでいるのかも知れない。でも君が試験に通らなかったことによって開かれる『倖せの扉』もあるんだよ。ひょっとしたら、その辛い体験を持つ君にしか出来ないこと、そんな背景を持つ君こそが誰かの力になって、役に立てることが、この先の未来で君を待っているんじゃないのかな?


だとすれば、この不合格は合格証書となんら価値は変わらない。不合格によって合格するってこともあるんだよ。終わりは始まりだよ。


君の存在価値を他人が決めることはできないし、君の存在価値を他人に委ねるのは勿体ない。君が創るのだよ。感情的な喜怒哀楽とは別次元で、君が自分の存在価値を創って居る時、君が君を味わっている時、君は立派に倖せに向かっているんだよ。」


◎質問者◎「じゃあ、試験に通る通らないと、幸不幸、生きている意味は別次元ってことなんですね?」


●私●「素晴らしい!その通りだよ。あなたはとっても飲み込みが早い!正に合格だよ💯ありがとう。」




合格した人も素晴らしいけども、
合格しなかった人も素晴らしいのだから、
彼らが落ち込んでいるのであれば、ケアの手を。