レナードの朝
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Awakenings〜レナードの朝〜
人間はじっとしてられない。
何かを求め続けている。
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それが一体何であるのか?
自分が一体何を求めているのか?
それさえも分からぬままに。
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とにかく渇く。
とにかく何かが欲しい。
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自分の何処が乾いているのか?
自分の何処に空白があるのか?
分からない。
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いやそんなことを
調べる暇があったら求めたい。
早く探し物を見つけたい。
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こうして
ある者は何かに没頭する。
ある者は自分の庇護者を探す。
ある者は自分を満たすべく励む。
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そうすれば、とりあえず
どうしようもない渇きが収まる。
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かに見えた。
しかし長くは続かなかった。
落ち着きは取り戻せなかった。
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何故だ?自分の何が悪いのか?
何の量が足りないのか?
もっと増やせば良いのか?
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ある者はさらに没頭し
ある者はさらに祈り
自分をさらに満たすことを試みた。
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しかし上手くいかない。
それどころか後退し始めた。
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収まらない渇きに、
怒りと悲しみが重なり
事態は複雑になってきた。
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何故だ?何故辿り着けないのだ?
私が何の報いを受けているのだろう?
誰の意にそぐわなかったのか?
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もう分からない、
もう考えられない。
もうやめよう。
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没頭することも
庇護者を求めることも
自分を満たすことも。
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もう動けない。
もう何を求めても無駄だ。
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希望という名に期待が混じり、
期待という名の渇望が生まれ、
渇望に隠れた欲望に操られていたのだ。
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そんなものは求めても無駄だ。
満たしても無駄だ。もう飽きた。
放っておこう。第一、私はもう動けない。
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絶望もない。
幻滅もない。
怒る相手も居ない。
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やがて気がついた。
じっとしている自分に。
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じっと出来ないはずの自分が
静かにしていることに気づいた。
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そうか私は突き動かされるように
何かを求め続けていたが、その実は
自分が何を求めているのか知らなかった。
いや、知ろうとしなかった。
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探せば見つかると思った。
満たせば足りると思った。
祈れば赦されると思った。
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そうか。
私が探していたのは
安寧だったのかも知れない。
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何かを求め、じっとできず
震え続け、求め続ける自分に
真の安寧が欲しかったのだ。
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求めるから喧騒が生まれ
安寧が遠ざかっていたのだ。
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いつも自分が何を欲しいか?
ばかりを考えていた。
だから自分が何をしているのか?
が分からなかった。
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これで良かったのだ。
私は渇望の「塊」から
ありのままの『魂』に戻りつつある。
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私は眠りについたのではない。
目醒めつつあるのだ。
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もう随分昔に観はじめた映画「レナードの朝」。
心に深く突き刺さり、大きく響くので、
気軽に何度も観たくなるという類の映画ではないが、
僕は昔から録画したり、DVDを確保したりしていた。
昨夜はいつぶりに観たのだろうか?若き日の僕は
この映画で俳優ロビン・ウィリアムズが演じる
セイヤー先生や映画「グッド・ウィル・ハンティング」
のマグワイヤ先生にいつも憧れていたのだった。
いや、あれは憧れではなく、自分の将来像の一部を
予見的に見ていたということが、今ならば分かる。
「人間の魂はどんな薬より強いということです」
とは劇中のセイヤー先生の言葉である。
レナードの朝という邦題も素晴らしい。