メリークリスマス
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クリスマスの夜です。
今夜も、心の中で
自分と対峙されている方々に向けて、
私の言葉を綴らせて頂きます。
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苦しい時。
私たちは「何故こうなった?」
「何がいけなかった?」
「何の報いだ?」
と自分の過去を振り返ります。
しかし、過去から教訓を得ることは出来ても、
「何故今、私はこんなに苦しい目に遭っているのか?」
は分からないままです。
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今こうして、皆さんが文字を読むことができるのは、
幼い頃「嫌だなぁ、もっと遊びたいなぁ」
と思いながらも鉛筆を握り、
平仮名ドリル、漢字ドリルをしたからです。
覚えておられないでしょうが、
あの時も本当は苦しかった筈です。
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それと同じではないかと。
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幼い時のあなたが読み書きを習得したことで、
あなたが大人になって
人生が一時的に苦しくなった時にも、
言葉の持つ癒しの力が届くようになったのです。
あの幼い頃の苦しみは、今に備える為だっだのです。
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今あなたが経験しておられる苦しみは、
必ずしも、
過去から来た「人生の廃棄物」とは限りません。
私たちは時間が
「過去→現在→未来」の順に流れていると、
余りにも思い込み過ぎています。
時の流れをもっと自由に捉えてみましょう。
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今あなたが経験しておられる苦しみは、
未来のあなたが、今のあなたに与えた
人生を豊かに迎え入れるための準備体操
という可能性はありませんか?
そう、あの時の漢字ドリルのように。
今は苦しいと感じられる経験であっても、
この先のあなたの人生を
豊かにする可能性を十分秘めているのです。
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ところが残念ながら、
我々人間には未来のことが分かりません。
未来に確信が持てません。
自信が持てません。
だから未来のことは考えず、
未来を避けて、
過去のことばかり振り返ってしまいます。
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しかし、ここがちょっぴり試練です。
先のことが分からないからこそ、
自分の未来を信じる力が問われるのです。
一寸先は闇のような人生の中で、
先行き不透明な自分の未来を
諦めずに信じることによって、
あなたの心の力が養われてゆくのです。
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今は苦しくても、この体験にはきっと出口がある。
その出口の先には、
私のこの体験が(ほんの僅かであっても)誰かを助け、
誰かの役に立てる未来が待っている…
そこに私が生まれてきた意味を
見出す日もあるかもしれない…
そのように未来を信じる時に初めて、
苦しみというトンネルの出口が見えてきます。
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お分かりになりますか?
そうです、毎日が豊かな未来を迎えるための
有能なナビゲーションなのです。
どんな些細なことも、苦しいことも、
あなたの未来においては解決され、
それどころかあなたのその苦しかった体験が、
今のあなたと同じように、
暗闇に迷い込んだ人の足元を照らす
ランタンとなる可能性を秘めているのです。
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だから毎日が贈り物なのです。
毎日がクリスマスなのです。
プレゼントは毎日のように届いています。
今夜もこうして平和に過ごせるのも
大いなるプレゼントだとは思いませんか?
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私たちの預かり知らない所で、
誰かが努力して下さっているお蔭で、
この平和が維持されている…
そんな可能性はないのでしょうか?
せめて今夜くらいは
この平和を支えてくれた誰かに捧げたとしても
悪いことは何もないはずです。
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そして、
あなたに届く毎日のプレゼントを受け取り、
感謝と共に、組み上げてゆくと
そこには豊かな未来を迎えた
あなた自身がいるはずです。
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1946年にアメリカで公開された
「素晴らしき哉人生」という映画を観ながら、
そんなことを思った次第です。
メリークリスマス。