医師 黒木 弘明

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二〇二四年 四月二五日(木)

綴りごと 想いごと

メリークリスマス

クリスマスの夜です。

今夜も、心の中で

自分と対峙されている方々に向けて、

私の言葉を綴らせて頂きます。

苦しい時。

私たちは「何故こうなった?」

「何がいけなかった?」

「何の報いだ?」

と自分の過去を振り返ります。

しかし、過去から教訓を得ることは出来ても、

「何故今、私はこんなに苦しい目に遭っているのか?」

は分からないままです。

今こうして、皆さんが文字を読むことができるのは、

幼い頃「嫌だなぁ、もっと遊びたいなぁ」

と思いながらも鉛筆を握り、

平仮名ドリル、漢字ドリルをしたからです。

覚えておられないでしょうが、

あの時も本当は苦しかった筈です。

それと同じではないかと。

幼い時のあなたが読み書きを習得したことで、

あなたが大人になって

人生が一時的に苦しくなった時にも、

言葉の持つ癒しの力が届くようになったのです。

あの幼い頃の苦しみは、今に備える為だっだのです。

今あなたが経験しておられる苦しみは、

必ずしも、

過去から来た「人生の廃棄物」とは限りません。

私たちは時間が

「過去→現在→未来」の順に流れていると、

余りにも思い込み過ぎています。

時の流れをもっと自由に捉えてみましょう。

今あなたが経験しておられる苦しみは、

未来のあなたが、今のあなたに与えた

人生を豊かに迎え入れるための準備体操

という可能性はありませんか?

そう、あの時の漢字ドリルのように。

今は苦しいと感じられる経験であっても、

この先のあなたの人生を

豊かにする可能性を十分秘めているのです。

ところが残念ながら、

我々人間には未来のことが分かりません。

未来に確信が持てません。

自信が持てません。

だから未来のことは考えず、

未来を避けて、

過去のことばかり振り返ってしまいます。

しかし、ここがちょっぴり試練です。

先のことが分からないからこそ、

自分の未来を信じる力が問われるのです。

一寸先は闇のような人生の中で、

先行き不透明な自分の未来を

諦めずに信じることによって、

あなたの心の力が養われてゆくのです。

今は苦しくても、この体験にはきっと出口がある。

その出口の先には、

私のこの体験が(ほんの僅かであっても)誰かを助け、

誰かの役に立てる未来が待っている…

そこに私が生まれてきた意味を

見出す日もあるかもしれない…

そのように未来を信じる時に初めて、

苦しみというトンネルの出口が見えてきます。

お分かりになりますか?
そうです、毎日が豊かな未来を迎えるための

有能なナビゲーションなのです。

どんな些細なことも、苦しいことも、

あなたの未来においては解決され、

それどころかあなたのその苦しかった体験が、

今のあなたと同じように、

暗闇に迷い込んだ人の足元を照らす

ランタンとなる可能性を秘めているのです。

だから毎日が贈り物なのです。

毎日がクリスマスなのです。

プレゼントは毎日のように届いています。

今夜もこうして平和に過ごせるのも

大いなるプレゼントだとは思いませんか?

私たちの預かり知らない所で、

誰かが努力して下さっているお蔭で、

この平和が維持されている…

そんな可能性はないのでしょうか?

せめて今夜くらいは

この平和を支えてくれた誰かに捧げたとしても

悪いことは何もないはずです。

そして、

あなたに届く毎日のプレゼントを受け取り、

感謝と共に、組み上げてゆくと

そこには豊かな未来を迎えた

あなた自身がいるはずです。

1946年にアメリカで公開された

「素晴らしき哉人生」という映画を観ながら、

そんなことを思った次第です。

メリークリスマス。