ダメなんてないよ
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悩みがあっても
不安があっても
心配していても
欲があっても
煩悩があっても
怖れがあっても、良いじゃないか。
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「怖れを抱えている」
ということと
「怖れに従って生きている」
ということとは別物だから。
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不安があったとしても
不安に振り回されている
とは限らない。
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欲があったとしても
欲に支配されている
と決まった訳じゃない。
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思い出せば良いじゃないか。
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不安を抱くのも
欲を持つのも
心配をするのも
悩むのも
怖れるのも
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全部自分だということを。
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貴方が居なければ
貴方の抱える不安も悩みも
心配も欲も怖れも
存在できないじゃないか。
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つまり、何があっても
貴方の中心は貴方なんだ
ということを思い出す。
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悩みも葛藤も心配も
不安も欲も怖れも
貴方以上にはなれない。
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だから、貴方が本当に
それらに支配されることは
貴方が選ばない限りは、ない。
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ただ頭の中の思考が
それらでいっぱいになる、
そんな時がある、というだけ。
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頭が貴方の全てではないから
貴方はもっと大きい存在だから。
貴方にはハートもあれば、ソウルもある。
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貴方は本来は
悩みや怖れよりも遥かに大きい。
不安や心配は
貴方の僅かな一部に過ぎない。
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そんな大きな存在の貴方が
不安や悩みを掻き消そうと
躍起になるのも悪くはないけど
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わずかに改める余地が
あるとすれば
それは…
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悩みを無くそうと腐心することではなく
悩みに支配されない工夫をすること
ではないかな?
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怖れがあっても良いじゃないか。
別にそれだけで怖れに完全に
支配されている訳じゃないんだから。
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悩む自分、心配する自分、
不安や怖れを抱く自分を感じたら
目を逸らさずに見つけてあげる、
見つけたら、責めずに許してあげる。
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怖れを抱える自分から目を背けたり、
怖れを滅却しようとしたり
怖れる自分を責めたりするから
怖れに振り回されたりするだけで
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見つめて許せば
支配されない。
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むしろ、怖れを友として
自分を学び、自分の情熱を確かめ、
貴方に備わった愛を表現してゆくのが
人生の醍醐味じゃないかね?
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大きな声じゃ言えないが
小さな声でも聞こえないので
本当の種明かしをするとね
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怖れは貴方を傷つける為ではなくて
貴方をたくましくする役目があって
貴方を守る為に存在しているんだよ。
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だから実は怖れは
貴方の友なのです。
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そんな怖れと共に旅をするのも
また一興なんですよ。
怖くない、怖くない、大丈夫。