医師 黒木 弘明

メニュー

二〇二四年 三月二九日(金)

綴りごと 想いごと

ダメなんてないよ

悩みがあっても
不安があっても
心配していても
欲があっても
煩悩があっても
怖れがあっても、良いじゃないか。


「怖れを抱えている」
ということと
「怖れに従って生きている」
ということとは別物だから。


不安があったとしても
不安に振り回されている
とは限らない。


欲があったとしても
欲に支配されている
と決まった訳じゃない。


思い出せば良いじゃないか。


不安を抱くのも
欲を持つのも
心配をするのも
悩むのも
怖れるのも


全部自分だということを。


貴方が居なければ
貴方の抱える不安も悩みも
心配も欲も怖れも
存在できないじゃないか。


つまり、何があっても
貴方の中心は貴方なんだ
ということを思い出す。


悩みも葛藤も心配も
不安も欲も怖れも
貴方以上にはなれない。


だから、貴方が本当に
それらに支配されることは
貴方が選ばない限りは、ない。


ただ頭の中の思考が
それらでいっぱいになる、
そんな時がある、というだけ。


頭が貴方の全てではないから
貴方はもっと大きい存在だから。
貴方にはハートもあれば、ソウルもある。


貴方は本来は
悩みや怖れよりも遥かに大きい。
不安や心配は
貴方の僅かな一部に過ぎない。


そんな大きな存在の貴方が
不安や悩みを掻き消そうと
躍起になるのも悪くはないけど


わずかに改める余地が
あるとすれば
それは…


悩みを無くそうと腐心することではなく
悩みに支配されない工夫をすること
ではないかな?


怖れがあっても良いじゃないか。
別にそれだけで怖れに完全に
支配されている訳じゃないんだから。


悩む自分、心配する自分、
不安や怖れを抱く自分を感じたら
目を逸らさずに見つけてあげる、
見つけたら、責めずに許してあげる。


怖れを抱える自分から目を背けたり、
怖れを滅却しようとしたり
怖れる自分を責めたりするから
怖れに振り回されたりするだけで


見つめて許せば
支配されない。


むしろ、怖れを友として
自分を学び、自分の情熱を確かめ、
貴方に備わった愛を表現してゆくのが
人生の醍醐味じゃないかね?


大きな声じゃ言えないが
小さな声でも聞こえないので
本当の種明かしをするとね


怖れは貴方を傷つける為ではなくて
貴方をたくましくする役目があって
貴方を守る為に存在しているんだよ。


だから実は怖れは
貴方の友なのです。


そんな怖れと共に旅をするのも
また一興なんですよ。
怖くない、怖くない、大丈夫。