医師 黒木 弘明

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二〇二四年 三月二九日(金)

綴りごと 想いごと

ふりそそぐ

Sun Sun Sun 太陽のひかり〜♪
僕らの肩に ふりそそぐ〜♪


『さわやか3組』という昔の番組の主題歌。
道徳の授業で観ていたのを思い出すなぁ。


自然や動植物、森羅万象の美しさを見れば
それを人間以外の存在が創り出したことが
いとも容易く理解できます。


それを創造主と呼ぼうが…神と呼ぼうが…
仏と呼ぼうが…天使と呼ぼうが…聖霊と呼ぼうが…
サムシング・グレートと呼ぼうが…運気と呼ぼうが…
古代の宇宙人と呼ぼうが…各自好きにしたら良いわ。


そんな大きな力を持った存在がどこかに居る…
だから自分は気に入られたい…
自分を守って欲しい…助けて欲しい…


今の自分が苦しいのは嫌われているからだ…
何がいけないのだろう?…
どうすれば好かれるのだろう?…


行いか?言動か?
お布施か?供養か?信仰か?
前世か?カルマか?瞑想か?修業か?


そんなことを気にし始めて
人間はもう何千年、いや何万年か…
よう飽きずに続けております。


自分が大いなる力に
好かれているか?
嫌われているか?


そんなに気になるか?
そんなに重要か?


気にする人の気持ちも分かります。
誰しも怖いもんなぁ。


しかしながら
そんなに難しいこともなかったよ。


どんな形であれ
存在しているんだから
愛されているんだわ。


あなたも存在しているんだから
基本、愛されてるんだわ。


あんまりにも大きな愛だから
確認してもしきれないと言うだけ。
証拠があり過ぎて掴めないだけ。


どれだけ証拠があっても
自分は愛されていないのでは?
と人間が抱く疑念にキリがないだけ。


そんな永遠の沼みたいな疑念の水溜りの中で、
公園で時間を忘れて遊ぶ幼児のように
まだまだ繰り返し遊ぶ気マンマンの人類と、
その遊びに飽きた人類が居るみたい。


もしあなたが
沼遊びに飽きた方の人類ならば


愛を確認することや
愛を探すことを
少しずつ辞め始めているだろう。


キリのない確認作業をやめて
確信を抱き始めているだろう。


自分が愛されてるという確信。


あなたが確信を持った時が
ふりそそぐ愛を受けとる時。


不安や心配、疑いがある時は
どれだけ愛は降り注いでいても
あなたはスルーしている。


確信に根拠は要らない。
確信に条件も手順もない。


あなたが存在していること
これ以上の確信はない。


自分が愛されていることの確認作業のために
あれが欲しい、これが足りない、
と訴え願うのではなくて、


もう愛されてると言う大前提で
こんな生き方をしたい!こんな人生を創るぞ!
と誓えば良いじゃない。


そっちの方角を向こうよ。
それが出来なくなったら
再び自分の中の怖れを掘り出せば良いよ。


こんなのスピリチュアルでも
自己啓発でも何でもないよ。
変な名前付けんなよ。


こんなのフツーの話よ。
怖くも何ともないべ。


とにかく確認の時代は終わり。
さぁ、これからは堂々と
燦々と降り注ぐ愛を受け取ろう。