医師 黒木 弘明

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二〇二四年 五月二五日(土)

綴りごと 想いごと

恋愛・結婚・家庭

人それぞれのプライベートなので

これまであえて言及を避けてきましたが

今日は少し踏み込んで

パートナー・シップや結婚について書いてみます。

恋愛と結婚とは

理想と現実だと

よく昔から言われますね。

「どれだけ結婚って、つまらないものなのか?」

「それなら、何でそんなものを続けているのか?」

と思っていました(笑)

私の知っている、とある大学の先生は

「結婚とは地獄だ!」

という講義をするのだとか。

それも何かの教育効果を狙ってのことだと思いますが

それはあくまでも、その先生の定義であって

何事も自分で定義して創っていくことが大切です

まず、あなたは結婚を何と定義しますか?

結婚に限らず

パートナー・シップを何と定義しますか?

何となくそうなっちゃった、とか

そんなものだと聞かされていたから、とか

そう言う曖昧な時代は既に終わりましたので

自分で(間違っていても良いので)

定義を創るチャレンジは大切だと思います。

私にとってパートナーシップや結婚とは

『愛の稽古場』

のように感じています、月並みですが。

稽古ってなんか相手に失礼じゃない?

本番ではないの?なんて言わないで下さい。

本番と同じように本気で稽古・練習をするのが

私の流儀ですから、稽古も本番も同じことです。

愛と言っても

私の若い頃の恋愛時代は

相手のことばかりを考えていました。

自分のことは、どこかそっちのけ。

しかし、結局それは

文字通り、相手のことを「考えて」いただけで

相手のことを「思いやっていた」のではなく

相手のことを考えている「自分」のことばかりで

今考えると非常に独りよがりな恋愛でした。

まぁ、発展途上はそんなものですね。

そんな私が無謀にも(?)

結婚というものに挑戦をしております。

今までの人生の3分の1以上が挑戦期間です。

今日の時点で思うのは、

ああ、これはシンプルに

「本当に『相手のこと』を愛しているか?」

が問われているんだな、ということです。

愛ですから

好きとか嫌いとかいう感情だけではありません。

それをどう行動に移すか?

どう表現するか?

ということも含まれます。

だから自分の感じ方、考え方、伝え方

も問われます(これだけでも既に大変ですね・笑)

問われてくる、とはどういうことか?

誰が誰に問うのか?

ここが若い頃の恋愛と少し違ってきます。

昔は、

相手が自分に問うてくる

相手に好かれるか?嫌われるか?

がテーマだと思っていました。

今は少し違います。

自分が自分に問うている。

相手と一緒にいる「自分」はどうなのか?

相手と一緒にいる「自分」はどう感じているのか?

楽しいのか?苦しいのか?

自分に正直なのか?自分の建前・嘘なのか?

そんな「自分」のことを好きか?嫌いか?

が中心的なテーマです。

結局は独りよがりじゃないか!

と言われそうですが、

そうではありません。

相手のことを好きとか嫌いとか

そういう感情によって

自分を見失わないようにしているのです。

恋愛時代のあの

自分を見失っている感じ

自分を削っている感じ

恋に走っている感じ

それが快感(若さ)なのかもしれませんが

今の私は嫌です(笑)

と申しますか、それはもう卒業済みです。

若い時は相手に没頭してましたが

それは裏を返せば

自分の方を見てもらいたくて

自分を構って欲しくて仕方がなかっただけで

恋という名の甘えと依存の集積だったのです、

私の場合は。

ではなぜ、相手に構って欲しかったのか?

というと

自分で自分を構っていなかったから

です。

なぜ相手から愛して欲しかったのか?

というと

自分で自分を愛していなかったから

です。

なぜ相手に許して欲しかったのか?

というと

自分で自分を否定していたから

です。

それでは苦しいはずです。

恋が苦しいのではなく

恋以前に自分が苦しかったのです。

しかし、そのことを私は自分独りでは

知ることも理解することも出来ませんでした。

だから恋愛という名の

人間関係の稽古場が必要だったのです。

そして稽古が進んで

ここ十数年は結婚という稽古をしていますが

そこでも気づくことは満載です。

例えば

好き→大切にしたい→守りたい

のように気持ちが派生していくことがありますが

今の私にとって、これは

大変不自然な流れです。

守りたいっていうのは

あくまでも自分の勝手な気持ち。

では一体、何から守るのか?

そして、どうやって守るのか?

そんな得体の知れない、漠然としたことに

どうやって取り組むのか?

男は女を守る(親が子を守る)、なんだそりゃ?

守るってなんだ?

相手が弱い存在だと決めつけているだけじゃないのか?

守る自分が強いことを証明したいだけじゃないのか?

という疑問にある時、突き当たりました。

何かの時に相手の力になってあげたい

もし、相手が自分を選ぶのであれば。

私にできることはそこまで。

あとは相手の意思を尊重するだけ。

というのが、今の私の感覚です。

ですから不思議なことに

恋愛時代のように「相手を守る!」

とか言っている時の私は

非常に独占的、独善的で

逆に相手を傷つけていたと思います。

しかし、

「相手を守りきれるかは分からない」

「限られた時間の中で

 相手の存在を尊重して大切にしたい」

と思っている今の私の方が

おそらく、相手に敬意を払い

相手を自由にしていると思います。

なんとも不思議なことですね。

パートナーシップを通して

未知の自分を知り、

その自分を深め、育てることによって

パートナーとの関係が成熟していくということ

を私は経験させて頂きました。

おそらく、これはパートナーに限らず

親子関係でも同じことだと思います。

守るという気持ちが

親のエゴになっていたり

子供の自由な心の成長を阻んでいたりします。

そしてパートナーシップと親子関係が混じり合った

家庭という場において

家庭(という形)を維持しよう、守ろう

と考えにこだわり過ぎると

逆に、お互いを傷つけ

さらには、自分を傷つけてしまうことが

よくあります。

パートナーのことは全く愛せないけど

生活のために子供が成人するまでは

我慢を続けて離婚せず、家庭を維持しておこう、

という話は今も昔もよく聞きます。

各ご家庭に様々なご事情があるので

「我慢して続ける結婚生活」の良し悪しを

ここで私は論じるつもりはありませんが、

その家庭にいる、お子さんのことが気になります。

お母さん(お父さん)は

私たちのせいで我慢して辛い日々を送っている、、、

私たちがお母さん(お父さん)の

苦しみの元になっている、、、

私たちがお母さん(お父さん)を傷つけている、、、

ああ結婚って、あんなに苦しいものなんだ、、、

人を愛するって、あんなに我慢することなんだ、、、

ああ子育てって、自分を殺すことなんだ、、、

人生ってなんなんだろ?

そんな風にお子さんたちが

感じない保証はありません。

そんなメッセージがお子さんたちに

伝わってしまっている可能性も否定できません。

明らかに愛のない両親の関係は

お子さんにどんな影響を及ぼすのか、

少し心配になります。

(私は父とは生き別れ、母子家庭で育ちました)

家族。

それは個々の人間関係の集積です。

一対一の人間関係が基本です。

パートナー・シップも親子も

基本は一対一。

家族としてなんでも一括りにする時、

一対一の関係がぼやけます。

家族が揺らぎます。

そして、あらゆる人間関係の

行き着く先は

自分対自分という一対一の関係。

そこが基盤です。

パートナー・シップ

親子

家族

そんな緊密な人間関係を通して

もっとも緊密な

自分自身との関係を深めていくのが

私たちの無意識の願望なのではないでしょうか?

大切にしたい人が居る人は

まず自分を大切にして下さい。

それが私の唯一のメッセージです。

最近、愛してるって言ったかな?