医師 黒木 弘明

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二〇二六年 六月二九日(月)

綴りごと 想いごと

悩みの使い方

 

ゾウの悩みをキリンは知らないかもしれない。
ゾウのことをアリは羨望するかもしれない。

 

 

自分に無いものを持ってて良いなぁ。
アレさえあれば、悩みなんて無いんだろうな。
あの人はさぞかし幸せ満点なんだろうなぁ。
私には無くて悩みの種になっているものを
あの人は殆ど全て持っているのだから…

 

 

そんな風にエリック・クラプトンに憧れてました。
持てる者クラプトンと、持たざる者の僕、
そんな風に昔、悩んでいた気がします。

 

 

自分が欲しくて堪らないものを持っている人は
もう悩みなんて全く無いのだろう、
いや、悩むなんて贅沢すぎる、

 

 

そう思う心が僕の中にあったような記憶は
あまりないけれど、もしあったとすれば、
それは悩みの濫用。悩みの使い方としては△かなと。

 

 

自分の悩みを誰かに投影し、
自分と同じように映らない時には
相手が悩むことを許さない、
そんな羨望を越した嫉妬が自分を濁し
余計に苦しみを増幅させてしまう…

 

 

なぜ悩みというものが在るのか?は不明だが、
どうせ在るなら、自分に優しく使いたい。
どうせ在るなら、世界に優しく使いたい。

 

 

私の悩みは、私を寛容にすることもできる。
悩みを抱えることで、誰かの悩みを否定せず、
誰かの生き方に優しい眼差しを注ぐこともできる。
それによって世界を温めることもできる。

 

 

悩みによって、感情というものを知り、
感情を頼りに、未だ見ぬ自分と人間の特殊性を知り、
悩みと感情に支配されていた自分に気づき、
そこから独立を目指す生き方を始めることもできる。
内的な自立が始まる瞬間だ。

 

 

そんな風に悩みを活用する道もあるが、
悩みによって生まれた感情、あるいは、
感情によって生まれた悩みによって
はからずも自分自身を苦しめてしまった経験は
誰しも多いにあるだろう。僕にも多いにある。

 

 

ゾウにはゾウの悩みがある。
ただ、アリやキリンには見えないだけ。
ハリウッド・スターもまた然り。
悩みはスクリーンには映らない。
どれだけ持つ者にも苦悩と葛藤はある。

 

 

エリック・クラプトンは生まれた時から
ブルーな気持ちを背負っていたが、
ある日神と呼ばれ、スターダムとなってからも
彼の苦悩は続いたが、誰もが彼を羨望した。
今この瞬間でさえ、彼は果てしない苦悩を背負い
生きている。祈りは欠かせないと彼は言う。
それは私たちと何ら変わりない。

 

 

だから、自分の勝手な空想の中で
自分と他人を比較したり、
空想の中で他人を嫉妬したり、
他人の悩みを否定したりするのは、
悩みに自分の心を支配されているようで
勿体ない気もしないでもないけれど、
それさえも、本人の切実な悩み方なんだから、
同じく悩みを抱えている人間としては、
同じく悩みに支配されてきた僕としては、
それを否定することはしない。

 

 

当然、貴方にも悩みはあるだろう。
あのスターたちと同じように。
悩みを背負って生きていること
それは実はスターの証だ。

 

 

信じられないかも知れないが、
貴方もまたスターなのだ。
信じたくはないかも知れないが、
貴方の自叙伝は今日も深みを増している。

 

 

ただし、欲しがり過ぎると
受け取ることが下手になりやすく、
手に入るまでの時間がかかることがある。
結果に期待し過ぎ、つまり、執着しているからだ。

 

 

欲しがっている時、特に
自分には無い状態に対して
否定的な想いを抱いている時は、
手に入りづらいから気をつけよう。

 

 

手に入る、入らないとは別にして、
結果を勝手に空想せずにおこう。
空想から生まれる感情こそは
貴方を縛る鎖であり、仮想現実の証だ。

 

 

欲しがることは原動力にもなるが、
執着と悩みと感情の温床にもなる。
欲しがることは諸刃の剣でもある。

 

 

それならば、
手に入らなくても楽しいと感じること、
今この不自由な世界の中にあっても
今最も無邪気に楽しいと感じられる在り方に
自分を委ねてみるのはどうだろう?

 

 

満たすべきは欲ではなく直感。
そこの判別が難しいから面白い。
ほとんどゲームのようだ。

 

 

悩みさえも使い放題。
悩みさえも使い方次第。
悩みさえも幸せの前触れ。
みんな悩ましい。みんな美しい。

 

 

人生を苦役にしてたまるか。
人生をゲームとして遊ぶ権利は
全ての人に残されている。

 

 

息をするのも、用を足すのも、
私次第で楽しくすることは可能だ。
まだ希望はある。
そうやってエリックはブルースを弾いた。