一生もの
.
恥ずかしながら僕は
『一生もの』ということが
分かっていなかった訳です。
.
.
いや、「一生もの」という
言葉の意味は知っていました。
それどころか、その言葉の意味を分かっていた
と言っても良いかも知れません。
.
.
しかし、
知っているのと
分かっているとは
違うもの。
.
.
ましてや、
言葉の意味を分かっているのと
分かった上で行動するのとでは
雲泥の差があるのです。
.
.
ですから、
言葉の意味を知っているのと
理解した上で行動するのとでは
天と地ほどの差があると言えましょう。
.
.
僕の『一生もの』の話
に戻りましょう。
.
.
その昔僕は『一生もの』と呼ばれるものを
頑張ってお金を出して購入し、
所有していたつもりでした。
.
.
『一生もの』と呼ばれるものには
特有の美しさがあり、まず僕は
それに心底惹かれたのです。
.
.
その物が生み出される際に携わった
全ての関係者の全てのエネルギーの総和が
その物に命を吹き込むのでしょう。
.
.
さらに『一生もの』と呼ばれるものは
品質が良いので一生もつ、
つまり耐久性に優れている、
そう言う意味でもあると思っていました。
.
.
また別の意味では
使い捨てには出来ないほど高級なもの
という意味合いも有るのかも知れません。
.
.
僕の理解はその程度でした。
(実に幼いというか、浅いのです・笑)
.
.
まず、自分がお金を払ったのだから
その物を自分が所有している、と言う感覚。
.
.
所有?
既にそこが間違っていたのです。
.
.
たとえ自分の財布から出したお金を
支払ってその物を購入したとしても
それは真に自分の所有物にはならない。
.
.
お金を払ったから手に入れたのだ、
お金が払った時に手に入れたのだ、
と本人が思いたいだけ。
.
.
お金が真の対価には非ず
お金を支払った時に手に入る訳ではない。
.
.
手に入れる時
手に入る時というのは
.
.
読んで字の如し
.
.
手入れをする時
のことである。
.
.
手入れをする時から
物と自分の関係が
閑かに始まるのである。
.
.
人間関係でもそうだろう?
.
.
結婚したら2人の人間関係は完成か?
婚姻届を出したらゴールか?
結納したら相手を手に入れたことになるのか?
.
.
就職したら従業員は社長の所有物か?
給料払えば社員を所有することになるか?
部下は上司の子分か?
弟子は親分の捧げ物か?
.
.
生まれた瞬間子どもは親の所有物か?
親は子どもの人生に本当に責任が取れるのか?
親の言うことを聞いていれば
子どもの人生の幸せが保証されるのか?
.
.
違う。
.
.
婚姻届を出す時、家族となる時
入社する時、迎え入れる時
生まれる時、産む時
これ全て出発点なのだ。
.
.
物を買う為にレジでお金を支払う時は
買った物と付き合っていく権利を
得ているに過ぎず、この時点では
まだ何も所有した事にはならない。
.
.
その物と自分の関係が
灰塵と化すことないように
手入れをし続けてゆく、積み上げてゆく
という誓いを立てたに過ぎない。
.
.
手に入れる、というのは
所有する、ということではなく
手入れし続ける、ということなのだ。
.
.
だから『一生もの』を手に入れる
ということはどういうことか?
.
.
それはその物を
自分が一生かけて手入れし続ける
ということに他ならない。
.
.
お金をいくら支払おうが
手入れをしなければ
手に入れることはできない。
.
.
仮に、手入れし続けたとしても
自分が所有したことにはならず
.
.
手入れをする
という体験を得るために
その物を借用しているに過ぎない。
.
.
それが証拠に、自分が死ぬ時には
その物を持ってゆけない。
.
.
あの世に持って行けるのは
手入れし続けた、という経験のみである。
.
.
一生もの。
.
.
気安く憧れている場合ではなかった。
その言葉を羨ましがるうちは甘かった。
所有した安堵感は真ではなかったのだ。
.
.
一生手入れし続ける
という覚悟と行動が
問われているのだ。
.
.
それは愛である。
.
.
あの時『一生もの』に感じた美しさは
僕への問いかけであったことに今さら気づく。
.
.
見てるだけ知ってるだけ分かってるだけ
それではダメですよ。
一生愛を注げますか?
一生向き合えますか?
.
.
と問いかけられていた。
.
.
『一生もの』と呼ばれる物は
僕が一生手入れし続けて初めて
本物の『一生もの』になるのだろう。
.
.
とにかく、そんなことも分からずに
『一生もの』を迎え入れていた僕に
『一生もの』の鞄が笑いながらこう言った。
.
.
「やっと分かったか、おめでとう」
.
.
僕と『僕という一生もの』の関係は
まだ始まったばかり。
鞄を磨きながら僕はそう感じた。