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助けるってなんだろう?

Facebookの記事をご覧になれない方のために、
いくつかの記事をピックアップして、
ここで再掲載しております(^ ^)
『助ける』って、
そんな簡単なことじゃないと思うんです。
 
 
 
助けたいと、こちら側が勝手に思っても、
相手が受け取らなければ、
助けたくても助けられない訳で。
 
 
 
相手が望むものと
こちらの差し出すものの
『噛み合わせ』が良ければ成立するし、
悪ければ不成立ですからね。
 
 
 
それに、誰かを『助けている』ことで、
そんな自分に優越を感じるようでは、
イマイチな訳で。
 
 
 
また、誰かを『助けている』ことで、
自分の徳が積めるぞ!とか、
神様のご褒美がもらえるぞ!とか、
そう言う下心があるのも
美しくない訳で。
 
 
 
だから、困った人を見た時、
「助けてやるぞ!」
じゃなくて、
 
 
 
「とにかくこの人に、何かしたいなぁ…」
「この人に、今の僕は何が出来るかなぁ?」
「こっちの気持ちが上手く相手に届けば良いなぁ」
 
 
 
くらいの謙虚な気持ちでありつつも、
『瞬時に』勇気を出して、
その気持ちを『行動に換えてみる』のが
良いんじゃないでしょうか。
 
 

また助けを求める側の人も
黙って、じっと待っているよりも、
「こんなことで力を貸して欲しい!」と
可能な範囲で、意思表示すると良いですね。
 
 
 
でも実際には
こんなこともあります。



この人を助けてあげたいけど、
思うように上手くいかない、
一旦やめてみようと思うけど、
それだとなんだか、
この人を見捨てているような気がして、
自分以外にこの人を助ける人が居ない気がして、
中々やめられない…
 
 
 
これらは、
特に優しい人、セラピスト、治療者の多くが
経験することです。
 


しかしやがて、
これは誰かを助ける為の
方法論、技術やテクニックの次元ではなく、
『愛のレッスン』なのだと言う理解に到達します。
 
 
 
例えば、
見守ること、待つことも、
とても大切で重要な『愛』ですよね。
 
 
 
助けようとする側は努力をしますし、
それなりに労力と時間をかけるでしょう。
 


しかし、油断していると、
いつの間にか、助けたい相手と、
助けようとする側が同一化してしまうことがあります。
 
 
 
すると、
お互いに身勝手な想いが混じってきて、
「私が努力している割には、この人の治りが遅い」等と、
思ってしまうことがあります。



また、助けられている方も
「この人の助け方が悪いから、自分は治るのが遅いのでは?」
と思うことが多々あります。
 
 
 
これは、
治りが遅いのは、自分のせいなのだろうか?
と言う「怖れ」が両者のココロの中に生まれるので、
それを身近な人に転嫁したくなるのです。
これは『愛』とは真逆の方角です。
 
 
 
ですから
本人が自分のペースで学んでいくこと、
自分のペースで自分を癒していくことを
待つ・見守るのも、大切な『愛』ですね。
 
 
 
直接何かをすることだけではなく、
『愛』を持って見守ることや、
相手の方が『愛』を受け取れるようになるとを信じて、
その日まで待ってあげること、
あるいは、
相手の「愛に基づかない行為を、あえて受け入れないこと」も
『愛ある行為』だと存じます。
 
 
 
ちなみに
『愛』と「怖れ」を
簡単に見分ける方法があります。
 
 
 
『愛』は、
 楽しく、心地よく、益々元気になります。
 
 

「怖れ」は、
 怒り・悲しみ・無力感・徒労感・焦り・疲労感を生みます。
 
 
 
これをお読みの他の方々も、
似たような経験をされているかもしれないので、
つい長々と書いてしまいました。
何かのご参考になれば、幸いです。
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作詞・作曲:Dr.クロキ

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