逃がす勇気
逃げ場こそ内観場。
よく親子間や上司部下間にあるのが
子どもや部下が上手くいかない時に
急に手を差し伸べなくなる教育法。
この教育法の残念な部分は
それまでは結構、甘めの接し方を
していた親または上司の側が
「自分が子どもを、または部下を
甘やかしたことによって彼らが
上手くいかなくなったのだ」
と考えたのかも知れないが
自戒の意味も込めたのか?
突如として子または部下に
手を差し伸べなくなる所だ。
この豹変ぶりは
子または部下には大きな衝撃となり、
彼らが裏切られたと感じることで
信頼関係が崩れるに留まらず
彼らを人間不信に陥いらせてしまう
可能性があると私は考える。
想像して欲しい。
昨日まで優しかった人から
18歳の誕生日を迎えたその日に
「はい、もう大人なんで自立して」
と言われ、突如絶縁されても
納得する人は少ない。
それは30歳でも60歳でも同じだ。
自立させるなら時間をかけて
距離感と自覚を作ってあげねば
自立させることはできない。
強制された自立は
逃げ場を失わせる。
それは自立では無い。
孤立だ。
勘違いしている人が多いが
逃げ場の中で人は考えるのだ。
逃げ場の中で自問し、内省し、
次の手立てを思案するのだ。
それなのに躾と称して
逃げ場を奪う教育法を選ぶ人が
なんと多いことか。
そもそも自立とは
周りが促すことではない。
自分でその気になってやるもの。
自立させなきゃいけない時点で、
それまでの親または上司の育て方が
アンバランスだったことを
受け入れる覚悟を持とう。
青ざめた自己への反省として
今更急に手を離すような真似をする
のではなく、自らも時間をかけて
自分の在り方を考え直さねば。
だから、自分にも相手にも
あえて逃げ場を作ってあげねば。
逃げ場の無い、
切羽詰まった状態では
余計に混乱し、余計に迷走する。
逃がす勇気から
大人は逃げてはいけない、
と言って
大人の逃げ場を潰す気は無い。
大人も子どもも皆んな
安心な逃げ場を作ってやれば良い。
逃げながら心を再構築すれば良い。
安全な逃げ場が無い場合には
大人も子どもも
危険な方角に行ってしまう。
だから安全に逃げよ。
そして作戦を練り直すのだ。
不安が追って来れないような所まで
逃げて、作戦を練り直せば良いのだ。
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