医師 黒木 弘明

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二〇二五年 二月二〇日(木)

綴りごと 想いごと

樵のわけ前(産業医奮闘す)

 

 

木樵(きこり)のわけ前

 

 

もうだいぶ前のこと。
アテネ五輪と北京五輪の間の時代。
とある会社の嘱託産業医をしていた。

 

 

ある日その会社の専務さんがやってきて
「先生、力を貸して欲しい。
クビにしたくない社員が居る。
何とかしてくれ。」と言う。

 

 

事情を伺うと、ある社員さんが
メンタルヘルスの不調で診断を受け
治療医から休業を言い渡され、
長期で休職しているが、残された
休職期間はあと半年。何度訊いても
治療医の職場復帰の許可が下りず、
このままだとあと半年で休職期間満了で
この社員は解雇になってしまう。
とても善良な社員なので何とか
職場に復帰させたい、助けてくれ、
とのことであった。

 

 

僕よりも遥かに年上の専務さんが
頭を下げてお願いに来た。
僕はその心意気に応えたいと思った。

 

 

そのケースの経緯を再確認した。
すると数年前に会社の合併があり、
仕事のやり方も、考え方も全く異なる、
異文化な人たちの中で、この人は
デスクを並べていたことが判明した。

 

 

それまで順調に働いてきたこの人は、
おそらくその時、自分の居場所が
職場から突如として消え去り、
それまでの就業人生と自分の存在価値が
無になったような感覚に陥った、
のではないか?と予想された。

 

 

そして、休職中のご本人と会って
状態を確認する所から僕は始めた。
最初は、ご本人が緊張し過ぎて
会社に来ることができないので、
社外でお話しをした。

 

 

お話しの中にはもちろん、
職場以外のお話しも出てくる。
人間だから当たり前だ。それも聴く。
そこも含めて判断材料にするから
お話しして頂けることが有難い。

 

 

ご本人は僕の予想よりも
状態は良かった。これならば
半年以内に復帰を目指せる!と踏んだ。

 

 

そこから治療医を確認した。
すると大学の精神科の教授であった。
この人物を説得して、職場復帰の
許可を勝ち取るのは、容易ではない…
かも知れないとは思ったが、
そこに怯む僕ではない。

 

 

僕は会社の人と協議して
この人を職場復帰させるための
計画を練りに練った。

 

 

どんなに元気になった人でも復帰して
いきなり元通りに働かせてしまうと、
ほぼ必ず再発するということは、
その当時殆ど知られていなかったが
僕は知っていたので、段階的に
業務量を元に戻していく計画を練った。
また、そのくらいの復帰支援計画を
こちらから提示しなくては
治療医は復帰許可を出さないだろう
と僕は予測していた。

 

 

そして僕は、この人の職場復帰後の
支援計画を会社に合意を取り付け
その内容を手紙にしたため、治療医に
「職場でこんなプランを用意したので
復帰の許可を頂きたい。」という旨の
手紙を出した。

 

 

その間も何度も
ご本人に会ってお話しをする。
1時間から2時間お話しを聴く。
こちとら「3分診察」じゃないんだ、
人間の人生の話しを聴くんだから
単位は、分ではなく時間だ。

 

 

お話しの回を追うごとに
ご本人も先々の希望が見えてきて
復帰意欲が固まり、明らかに
メンタルヘルスの状態は上向いている。

 

 

それが功を奏したかどうかは
僕は知らないが、あれだけ職場復帰の
許可を出さなかった治療医から
許可を出す旨の返信がやってきた。

 

 

かくしてこの人は無事に
職場復帰を果たすことができた。
だが、そこで終わりではない。

 

 

油断してはいけない、
心を舐めてはいけない。
その後も一年に渡って僕は
この人のフォローアップのために
お話しを続けた。その結果、
この人は再発も再休業もなかった。
過去の休職期間もクリアされた。

 

 

そして専務さんが定年退職の時
「いやぁ、先生ありがとう。
お蔭で良い社員を失わずに済んだ。
もうダメかと思ったが、ありがとう。」
と御礼を言われた。

 

 

その会社が開発に携わったのが
この「木樵(きこり)のわけ前」
というお水だ。地下1117mから
汲み出したPH8.8の素晴らしいお水。

 

 

僕はこのお水を飲むたびに
あの時のことを思い出す。

 

 

ちなみにその後僕は
その会社の担当を代わったが、
数年経って電車の中で、あの時の
ご本人にばったり逢ったことがある。
やはりお元気だった。良かった。